『普通の恋愛 3』

 彼等は戸惑っていた。
 初めて知る感情。身に覚えのある感情。
 それは、一人では処理出来ないものだと感じていた。

 運命は、彼等に同じ時間、同じ想いを背負わせることを決めた。
 

§3 恋愛の始まり
 

「住所不特定ってどういうことだよ?」
 めずらしく秀壱と二人きりで楽しいランチタイムのはずだったが、話をしていくうちに崇史は唖然とした。
「・・・なんでそんなに驚いてるのさ?」
「そんなこと言ったって・・・じゃあ、どうやってお前に連絡取ればいいんだよ?」
「・・・ケータイ教えただろ。智から伝えてもらってもいいし・・・後はホテルとか」
 秀壱は夜のことを智に知られたくないらしく、崇史と二人でいる時にしか話さなかった。
 崇史も、意識して話そうと思っていなかった。
 しかし、秀壱と二人だけの秘密は、崇史を優越に浸らせていた。
「秀壱・・・あんなこともうやめろよ」
「・・・どうして、君がそんなこと言うのさ?」
「それは・・・友達なら当然だろ!!」
「・・・本当に、君は青春ごっこが好きなんだ。言ったよね、人間は獣だって・・・意識なんてしないって。本能が欲望になって行動するんだ。理由なんてないんだよ。だから、今の君にオレは止められないよ。オレは自由だし、何も否定していない」
 秀壱はコーヒーを飲み干すと、トレイを持って席を立った。
「・・・崇史とオレの間に線が引いてあるんだ。世界が違うんだって・・・」
 じゃあね、と言って秀壱は崇史に手を振り、その場から立ち去った。
 残された崇史はただ呆然と秀壱の言った言葉の意味を考えていた。
 秀壱との間に線なんて欲しくない。
 思うことはそれだけだった。ただ、どうして自分がこんなに秀壱に執着しているのかが分からなかった。
 秀壱にもう一度逢えばはっきりするだろうと思っていた気持ちも、曖昧なままだった。
 そして、あの夜生まれた感情は崇史の中で確実に育っていた。
「お!いたいた」
「順。お前、来るの遅いよ」
「悪い。寝坊しちゃってさ。それより今さ、秀壱と出逢ったんだけど何かあった?なきそうな顔してたぞ」
「え・・・泣く・・・秀壱がっ!?おい、秀壱どこ行ったんだよ?」
「え、あ・・・駐車場の方だと思うけど・・・?」
「次の授業、代返よろしくな!」
 順が口を開こうとした時には、崇史の姿は見えなくなっていた。

 駐車場にはおよそ学生の物とは思えない車から原付まで所狭しと並んでいた。
 崇史は必死に秀壱の姿を探した。
 そして、崇史が見つけた秀壱があの夜と重なった。
 秀壱は四駆のボンネットにもたれかかって、見知らぬ男と楽しそうに話していた。
 その瞳が崇史を視界に捕らえた。
 崇史はまた動けなくなっていた。
 そんな崇史を見てなのかは分からないが、秀壱は綺麗な笑みを浮かべ、ゆっくりとその男に口付けた。

 今ほど、逃げ出したいと思ったことはなかった。
 誤魔化しきれない感情が崇史の全神経を襲った。
 秀壱を想う気持ちと崇史の常識が躰の中で弾けた。
 秀壱が言ったように、崇史の心と躰が意識した。
 秀壱が欲しい、本能が欲望になり、崇史に嫉妬させた。

 崇史は自分の恋心を認めた。

「秀壱!」
 男の車に乗ろうとする秀壱の腕を掴んで、崇史は無理矢理に連れ戻した。
 秀壱は何も言わずに崇史の顔を見つめた。
 まるで、崇史の次の行動すら見透かすような瞳で見つめていた。
 その瞳に見つめられ、崇史の中の羞恥心が込み上げてきた。
 だが、秀壱の腕は決して離したくなかった。
「誰だよ、お前!?」
「・・・オレ行くのやめた・・・友達と・・・約束してたみたいだから」
「え、おい?」
 怒鳴りつける男を無視して、秀壱は車から降り、助手席のドアを閉めた。
「・・・車、どれ?」
「え、あのプリウス・・・」
「・・・ドライブ、行こ」
 狼狽える崇史を気にせず、秀壱はマイペースにことを運び、崇史の指差した車に向かって足を進めた。
 我に返った崇史も、秀壱の後を追うようにゆっくりと走り出した。

「・・・」
「どうかした?」
 車を走らせてから少しして赤信号で止まっていると、秀壱が窓の外に視線を向けた。
 それを追うように崇史が視線をずらすと、一匹の子猫が路地の側で鳴いていた。
「捨て猫か・・・ったく、捨てるぐらいなら飼わなきゃいいんだよ」
「・・・あ」
 ちょうど通りかかった小学生ぐらいの女の子と母親がその猫に気付き抱きかかえた。
 不安げだった秀壱の顔が安心した笑顔になった。
 崇史もつられて顔が綻ぶ。
 そして、信号が青に変わり、車はまた走り出した。
「・・・西麻布・・・行って」
「どの辺?」
「・・・Whooってクラブ。外苑西の近く・・・」
 秀壱に言われるままに崇史は車を走らせた。

 近くの百円パーキングに車を止めて、秀壱はまだ開店していないクラブのドアを開けた。
 崇史は戸惑いながらも秀壱の後に続いて店の中に入った。
「・・・ねぇ、何か作ってよ・・・彼にも」
 店の中は開店前の昼時とあって静かなものだった。
 太陽の光が差し込み、崇史の知っているクラブとも違う雰囲気があった。
 行き付けの店なのか、秀壱は躊躇することなくカウンターに座り、グラスを拭いていた三十代半ばの、一見クラブには不似合いでもある真面目そうな男に声をかけた。
「秀。こんな時間に来て、大学生ってのはよっぽどヒマなんだな」
「・・・心配してくれてるの?」
「みんなお前のこと心配してるよ・・・茜さんだって」
「あの人の話なんかするなっ!!!」
 突然、テーブルに拳を叩きつけ秀壱が叫んだ。
 青ざめた顔で荒い呼吸をしながら。
 あの秀壱が取り乱していることが、崇史には信じられなった。
「秀壱?」
「・・・ごめん・・・なんでもない」
「コレでも飲んで落ち着けよ。君は・・・秀の友達?」
「あ、遠野・・・です」
「そう・・・僕はここのオーナーで天沼。開店前でなんだけどゆっくりしていくといい」
 そう言って天沼が二人に出したのは、カクテルグラスに注がれたスポーツドリンクだった。
「未成年が昼間から酒なんて飲むもんじゃないからな」
 天沼はそう付け加えて、店の奥へと姿を消した。
 その途端、場の重苦しさに崇史は直面した。
 訳が分からないままここまで連れて来られたものの、結果的に崇史は秀壱の仕事を邪魔をしてしまったのだ。
 恋に気付いた瞬間に、まさに失恋への第一歩を踏み出してしまったようなものだった。
「あ・・・さっき、悪かったな。なんか、俺邪魔したみたいで・・・」
 心にも思っていないことをペラペラと喋り出す崇史を秀壱は何も言わずに見つめていた。
「あの・・・ここ、よく来るのか?なんだかあの人・・・天沼さんだっけ、いい人っぽいな」
 沈黙が崇史を襲う。
 今更、何を言っても無駄にしか思えなった。
 それでも、崇史は自分の恋心を秀壱に気付かれたくなかった。
「・・・崇史の方がずっとイイ人」
 そんな沈黙から崇史を救ったのは秀壱の落ち着いた声だった。
 頬杖をついて宙を見つめながら秀壱は話し始めた。
「・・・オレなんかほっとけばいいのに・・・智以上におせっかいだね」
「なんだよ、それ・・・おせっかい?そんなんじゃない!俺はお前だからほっとけないんだ!!」
「・・・オレだから?こんなオレに何を期待してるのさ?オレは・・・汚れてるのに・・・」
「汚れてるってなんだよ・・・お前は十分綺麗だよ!そうじゃなきゃ、さっきの捨て猫なんか気にしないだろ!あんなに不安げな顔で見つめてたくせに・・・そんなこと言うなよ!!」
「・・・オレは今まで通りでいたいんだ!誰とでもセックスして・・・オレは汚れたままで・・・」
「そんなの違う!好きだからセックスするんだ。お前のやってることおかしいよ!」
「・・・オレは・・・セックスしか知らない・・・求められるものは、いつも躰だけ・・・それ以外に何もない」
 秀壱は恋も愛も知らないのだ。
 崇史は締め付けられる想いでいっぱいだった。

    なぜ、誰も秀壱を愛してやれなかったのだろう。

    なぜ、もっと早く秀壱と出逢えなかったのだろう。

    なぜ、こんなにも愛情を求めてる秀壱に気付けなかったのだろう。

「そうやって、本当の自分に気付かないままでいる気か?俺はお前がどんな奴でも綺麗だと思える。なんで、そんなに自分を責めるんだよ?そんなに思い詰めることじゃないだろ。お前は十分すぎるほど綺麗なのに・・・」
「・・・なんで・・・なんでそうやってオレの中に入りこんでくるのさ!?君のせいでオレはおかしくなったんだ・・・こんなのオレじゃない・・・崇史のせいだ・・・」
 崇史は子供のような我壗を大人びた表情で言う秀壱をきつく抱きしめた。
 崇史には、そんな秀壱が何より可愛く思えた。
「お前が自分を許すまで何度でも言ってやるよ。お前は誰より綺麗だ。俺はそんな秀壱だから好きになったんだ」
 あまりにもストレートすぎる告白だった。
 崇史自身、気付かなかったかもしれないが、それは確かに愛の告白だった。
「・・・言っただろ・・・君がそんなこと言うと、愛の告白みたいに聞こえるって・・・」
「告白だよ!俺はお前にキスしたい。お前とセックスしたいよ・・・秀壱が好きなんだ」
 崇史自身が初めて意識したこと。
 崇史は秀壱に惹かれていた。
 それは崇史の常識をくつがえすことだったが、常識よりも理性よりも、崇史の本能が勝った。
 これは愛なのだと意識せざるを得なかった。
「・・・なに・・・オレをからかってるわけ?・・・したいならそう言えば・・・」
「違うっ!!どう言えば分かるんだよ・・・俺はお前が好きだからセックスしたいんだ。秀壱をもっと知りたいから・・・お前だけを愛したいから」
 秀壱を抱きしめていて良かったと思った。
 崇史の顔は自分でも判るほど熱く火照っていた。
「・・・愛なんていらない・・・そんなの知らない・・・オレには必要ない!」
「恐がるな!俺は絶対にお前を裏切らない」
「・・・オレは・・・誰も愛しちゃいけないんだ・・・」
「じゃあ、なんで今ここにいるんだ?今まで通りでいいんなら、お前はあの車の男といるはずだろう?お前は俺を選んだんだ!秀壱だって変わりたいんだろ・・・」
「・・・オレは・・・変われない」
 そう言った秀壱の腕が崇史の背中に回された。
 そんな事を言われたのは初めてだった。
 自分でも理解できない思い。
 それが秀壱を混乱させていた。言葉とは裏腹な態度。
 崇史にはその意味が分かっていた。
 それは、自分と同じものであり、それは、一人では決して成り立たないもの。
「俺がお前を変えてやる。キスもセックスも愛情も、全部俺が教えてやる。俺が、お前を愛してやるから・・・」
 崇史は必死だった。
 秀壱を変えられるのは自分だけだと思った。
 秀壱を愛せるのは、自分しかいないと思った。
「・・・オレを・・・?」
 崇史が見つめた秀壱は、崇史と同じように顔を赤く染めていた。
「俺を選べよ・・・秀壱」
 崇史は秀壱の柔らかな口唇にそっと自分の口唇を重ねた。
 そして、柔らかな口唇と漆黒の瞳は、崇史を受け入れた。

 崇史の想いは確信へと変わった。
 
 

to be continue・・・