『普通の恋愛 2』
 

 青年は恋を知っていた。
 それがどんなに素敵なことか。どんなに幸せなことか。
 しかし、青年の恋はまだ本物ではなかった。

 今やっと、彼等の運命は廻り始めた。
 

§2 恋心
 

 あれから一週間が経った。
 
 それでも、崇史はあの青年を忘れることが出来なかった。
 もう一度、あの青年に逢いたい。
 逢って何をするかなんて考えていないが、もう一度逢えばこの躰の奥に住みついた気持ちが何なのか分かる気がした。
「崇史。サークルついて来てくれよ」
 そもそも、この親友、順に誘われなければあんな出逢いはなかったのだ。
 と、崇史は順に筋違いの怒りを覚えていた。
「なんでだよ?今日は活動日じゃないだろ」
「教科書買う約束してるんだよ。いいだろ、なっ!」
 半ば無理矢理、崇史は順によってサークル棟まで連れて行かれた。
 しかし、その順の誘いのおかげで、崇史は願ってもない偶然に遭遇した。
「あれ、お前らも教科書買いに来たのかよ?」
 見覚えのある顔だった。
 新歓の時、崇史の隣りに座っていた元気の良い男。
 崇史は勢いだけの記憶を辿ってなんとか彼の名前を思い出した。
「えっと、長谷部・・・だよな?」
「よく覚えてるな。そう、長谷部智」
「遠野崇史」
「俺は岡崎順。よろしくな。長谷部も先輩から教科書買ったクチ?」
「あぁ、書き込み付きの便利な教科書」
「じゃあ用事済んでんじゃん。こんなトコで何やってんだよ?」
「それがさぁ・・・」
『・・・いつまでも汚い手で触るな!!!』
 智が口を開きかけた時、ドアの向こうから何かを投げ付ける音と叫び声が聞こえてきた。
「やべ!秀壱の奴キレやがった」
 智は慌てて部屋の中に入っていく。
 残された崇史と順も興味深そうにドアの隙間から部屋の中を除いた。
 ただ、崇史にはその声に聞き覚えがあった。
「智!こんなサークルいるだけムダじゃん。今すぐやめろよ!」
「んなムチャ言うなよ。あ、先輩それじゃ失礼します」
 秀壱と呼ばれた青年は智の腕を掴んで部屋のドアを勢いよく開ける。
 ドアのすぐ傍に立っていた崇史の視界に、あの漆黒に包まれた瞳が飛び込んできた。
 秀壱こそ、崇史が捜し求めていた青年だった。
 ドアノブを握ったまま、崇史は動きを止めた。
「・・・なに?」
 崇史に気付いた秀壱が顔を上げる。

 なんて言おう、どんな顔をしたらいいんだろう・・・そんな考えばかりが崇史の頭をよぎった。

「あ・・・」
「・・・邪魔なんだけど、そこどいてよ」
 初めて逢った時と同じ言葉の一言で崇史の考えはことごとく崩れ去った。
 秀壱はまるで初対面かのように振舞った。
 というよりは、本当に覚えていないのだろう。
 だからといって、崇史は今まで溜まっていた感情を抑えられるはずがなかった。
「ちょっと待てよ!俺、遠野崇史。お前は!?」
 崇史はすれ違う秀壱の細い腕を掴んでいた。
 言葉より早く崇史の躰は動いていた。
「・・・何言ってんの?」
 秀壱は興味なさそうに呟くと、崇史の手から逃れようと腕を振るが、崇史の力に比べたら、その抵抗ははるかに微量なものだった。
「おい、遠野!?」
「智の知り合い?」
「あぁ、同じサークルなんだ」
「・・・あのさぁ、俺と話したいなら、場所変えてくれる?」
 抵抗をあきらめた秀壱は崇史に冷たい視線を向けた。
「あ・・・ご、ごめん」
 正気に戻った崇史は周りを見渡して、自分がとった行動を改めて理解した。
「おい崇史・・・なんなんだよ、一体?」
「また今度説明する。俺、用事出来たから悪いけど先帰るわ」
「ちょっ、おい、崇史?」
 ワケの分かっていない順を残したまま、崇史、秀壱、智の三人はサークル棟を後にした。
 そのまま中庭の掲示板前を通り抜けてラウンジに向かった。
 移動の間、崇史は自分の行動に理解し難さを感じていた。

 なぜ、あんなに必死になっていたのだろう?
 なぜ、覚えられていなかったことが、こんなに腹立たしいのだろう?

「・・・で、オレに何の用?」
 そして、崇史が最も理解に苦しんでいるのは、秀壱そのものだった。
「俺、お前と一度逢ったことがあるんだけど・・・覚えてないかな?」
「・・・オレ・・・と・・・?」
「そう。一週間前の夜、渋谷で・・・」
「一週間前ったら、新歓の日じゃん。秀壱、渋谷にいたのか?」
「智。ノド渇いた。ジュース買ってきて」
 いきなり話の腰を折られても、崇史は不思議と苛立ちを感じなかった。
 逆に秀壱の持つ独特の空気が清々しかった。
 秀壱の喋り方や、些細な仕草が羨ましくも思えた。
「はぁ?なんだよいきなり?」
「だから、買ってきて」
「俺はお前のパシリじゃねーぞ!?」
「知ってる。智はオレの親友だろ?」
「・・・ったく。分かったよ。買ってくればいいんだろ。ここで待ってろよ。絶対に動くなよ!分かったな!!」
「努力してみるよ」
 智の後ろ姿を見送っていた秀壱が、急に崇史の方を振り向いた。
 あの夜と同じように、漆黒の瞳で崇史を見据えた。
「・・・いつ?」
「え・・・いつって・・・」
「・・・なんだ、仕事じゃないの・・・強請りならムダだよ。オレ、金持ってないし」
「え、ちょ、違うよ!俺はただお前と・・・友達になりたいと思って・・・」
「・・・君・・・言ってて恥ずかしくない?」
「恥ずかしいに決まってるだろ!でも・・・初めて逢った時からお前のことが気になってしょうがないんだ」
「・・・いいよ。君が友達っていうんなら、オレは友達でいいよ」
 アハハと楽しげな笑い声をこぼして秀壱は言った。
「え、どういう・・・?」
「・・・そんなに顔赤くしてたらさぁ・・・まるで愛の告白みたいだよ」
 秀壱は崇史を刺激するようにわざと耳元で囁いた。
「ち、違うっ!俺、そんなつもりじゃなくて・・・」
「・・・人間ってさ、意識しない生き物だよね。心や躰は意識するのに言葉で否定する・・・だから人間は獣なんだ」
 さっきより一段と赤くなった崇史をからかうように秀壱は言葉を選ぶ。
「そっ、それよりさっきなんであんなにサークル入るの嫌がったんだよ?」
「・・・下心見え見えだったからさ・・・オレは金ある奴としか寝ないのに」
「え、って、先輩が!?」
「・・・あからさまに人の躰触ってきてさ。いくらビジネスでもセクハラに耐える義務はないはずだよ・・・ねぇ、君の名前・・・なんだっけ?」
「あ、遠野・・・崇史。お前は?」
「・・・オレは・・・」
「秀壱!買ってきたぞ。これで文句ないだろ」
 智の元気な声に開きかけていた秀壱の口唇は閉じてしまった。
 理由のない怒りが崇史に湧き上がり、智に向けられた。
「ありがと。なぁ、モス寄って帰ろーよ」
「遠野も来いよ。お前の分も買ってきたんだからな」
 崇史は秀壱を見つめたまま、ただ突っ立っていた。
 動けなかった。名前も聞かないままこの場を去るわけにもいかず、かといって、勝手について行って秀壱の機嫌を損ねたら元も子もない。
「・・・久世秀壱。君とは長い付き合いになりそうだから教えておくよ。よろしくね、崇史」
 崇史は満面の笑みを浮かべて、歩き出した秀壱の隣りに歩み寄った。
 それは大学に受かった時より、車の免許を取った時よりも、幸せな気分だった。
 
 

to be continue・・・