[林檎]
今日、美田嶋雪流が学校を休んだ。
それを氷室から聞いたクラスメイトは驚いた。
なんせ、今まで一度も休んだことのない雪流なのだ。
珪にいたっては、昨夜電話した時は元気そうだったのに…俺、気づいてやれなかった…などと、自己嫌悪に陥っている。
しかし、それ以上に認めたくない人物が約一名…。
「やらぁ〜ガッコいくのぉ〜〜」
雪流本人であった。
「何言ってんだよ!39度も熱あるくせに!!」
朝からベッドに抑え付けられ、尽と格闘中である。
「らいじょぶ〜らからぁ〜!」
「んなの、ちゃんとした日本語喋ってから言えっ!」
「つくし〜〜」
「ダメったらダメ!自分のこと、もっと考えろよ!いいか、姉ちゃん!熱が下がるまで絶対安静だ!!」
「…………ぅん」
尽のあまりの真剣さに、雪流は渋々頷いた。
「ったく……ほら、おとなしく寝てろよな。俺、リビングいるから何かあったら呼べよ」
暴れたせいで乱れたベッドを直しながら、尽は雪流に布団をかけてやる。
「うん……って、つくし…ガッコは?」
「こんな姉ちゃん一人に出来るかよ」
そう、生憎と今日は両親ともに出張でいなかったのだ。
「……ありがろぉ…」
暴れたせいでまた熱が上がったのか、雪流は辛そうに笑う。
そして、やはり身体は辛かったのだろう、あっという間に深い眠りに落ちていった。
-ピンポーン-
雪流が目覚めたのは、聞き慣れた我が家のインターホンの音だった。
時間が知りたくて、サイドボードに置いてあるケータイを手に取る。
「あれ…」
尽が気を利かせたのか、ケータイの電源は切られていた。
「ま、いっかぁ…」
今の雪流が襲ってくる眠気に勝てるわけもなく、ケータイをそのまま元の場所に戻し、雪流は再び目を閉じた…。
一方、階下では…。
「雪流は?」
「悪いけど、姉ちゃん寝てるんだよね。帰ってくれない?」
「…待つから」
「あのさーいつ起きるかわかんないよ?」
「構わない」
「……ま、勝手にしなよ。但し、2階は立入禁止だぜ」
「………分かった」
珪と尽の攻防戦(!?)が繰り広げられていた。
「…ぅん」
薬が効いているのか、ボーっとする頭で雪流は目覚めた。
今度は、ケータイの電源を入れ、何通かのメールを確認する。
「あ、みんなからメールきてる…なつみんたちらぁ…」
メールを読みながら、嬉しそうに笑う雪流。
自分を心配するメールを読みながら、雪流は"早く治して学校行くぞ!"と決意も新たに気合いを入れる。
「…でも、そのまえに…あにかのも…」
自分が酷く喉が渇いていたことに気づく。
そして、眠っている間にかなりの汗をかいたのだろう、パジャマも少し湿っていた。
フラつく足で階段を降り、明かりの灯いたリビングに向かう。
「つくしぃ〜のろかわいたぁ…………!?」
雪流はリビングのドアを開け、それに気付くと病人とは思えない素早さでドアを閉めた。
「雪流…」
雪流の視界に飛び込んできたのは、クラスメイト兼雪流の恋人、葉月珪その人だったから。
「な、な、なんれけいがここにいるのぉ〜っ!?」
バクバクする心臓を押さえ、ドアにすがりながら、雪流は今の状況を頼りない頭で確認する。
寝起き+パジャマ姿+寝癖でボサボサ=珪に見せられる格好じゃない→てゆーか、見られたくない!!!
「………お前、急に休むから」
ドア越しにも分かる、珪の心配そうな声。
「うれしいけど…くるならくるっていってよぉ〜!」
「………どうして?」
焦りまくりの雪流とは反対に、珪の機嫌は悪くなっていく。
「どうしてって……」
そりゃあ、見舞いに来て、弟に門前払いされそうになり、さらに、やっと逢えたと思った雪流がこれじゃあ…文句は言えない。
なんせ、雪流は無関心・葉月珪の唯一の関心事なのだから。
「俺が来ちゃマズイことでもあんの?」
「え…ちがうよ……」
珪の声が少し低めのトーンになったことに気づき、雪流も少し冷静さを取り戻す。
「…どう違う?」
明らかに不機嫌な珪の声。
雪流にしてみれば、今すぐ出ていって誤解を解きたいのだが…。
「だって…パジャマ…」
「何度も見てる」
「ねおきだし、かみボサボサだし…」
「そんなの今更だ」
「………でも…」
「雪流ならどんな姿でも構わない…顔、見せろ」
ある意味、とんでもないバカップルな会話だが、聞いてる人が尽だけと言うのは助かりものだろう。
当の尽もテレビの音を大きくして、なるべくなら聞かないようにしてるらしい。
「………………」
反論がなくなったのを機に、珪はゆっくりとドアを開ける。
「……雪流」
ドアのすぐ隣で壁を背もたれにして、うずくまっている雪流を見つける。
俯いたままでも分かるほど、耳まで赤くしている雪流。
「雪流…大丈…」
珪は雪流の頬に触れようと伸ばした手を、思わず止めた。
「…バカけい」
そう言って、上目遣いで見上げてきた雪流の格好。
いつも以上に潤んだ瞳は、焦点が合わないのかトロンとしていて。
少しばかり着乱れたパジャマから見える肌は、熱のせいでピンク色に染まっている。
「…………」
「…けい?」
そんな格好で小さく首を傾げる雪流の姿は、この上なく無邪気で妖艶だった。
「…………」
「…どうし…きゃっ!?」
不意に、宙に浮かぶようような感覚に襲われる。
「やっぱ、お前、寝てろ」
次の瞬間には、雪流の身体は珪によって軽々と抱き上げられていた。
いわゆる"お姫さま抱っこ"で。
「え、ちょ、なに?いみわかんな…や…おろしてよぉ〜」
「だめ」
「え、なんで…たすけて〜つくし〜!」
「…今のは姉ちゃんが悪いと思うぜ」
ソファーの背もたれに乗りかかる格好で、尽は雪流に手を振った。
「なんでよ〜?」
「でも、姉ちゃんになんかしてみろ。二度と家の敷居は跨げないからな、葉月」
「…病人は襲わない…多分」
「ちょ、なにいって…」
「とりあえず、お前の部屋行くぞ」
「わかったから、おろしてよぉ〜!」
「いやだ」
珪の整った顔立ちで真剣に見つめられてしまえば、雪流はもう何も言えなくなる。
「…お前、病気の時ぐらいコレと一緒に寝るのやめろよ」
雪流の部屋に入ると、真っ先に目に付くのはベッドに寝かされた大きなウサギのぬいぐるみ。
雪流のぬいぐるみ好きはかなりのもので、隣にいないと落ち着いて眠れないらしい。
お泊り用のミニサイズもちゃんと用意されている。
余談ではあるが、このお泊り用のぬいぐるみが、珪にとって目下最大の敵らしい。
「やだ…」
雪流は珪の首に抱きついたまま首を横に振る。
さっきの騒ぎで熱が上がったのか、触れる肌も熱く、心なしか声にも抑揚がない。
「…こっちにしとけ。あれじゃデカすぎる」
珪は軽くため息をついて、側の棚に飾ってある手頃な大きさのぬいぐるみを雪流に渡す。
「……うん」
受け取ったのを確認してから、珪は雪流を抱いたままベッドに座る。
自然と珪の膝の上に横向きに座る形となった。
「………つらいか?」
掌で触れた額が思った以上に熱を持っていることに焦る。
「…ううん……へーき」
瞳を閉じたまま、珪の胸元に身体を預けた雪流。
「きてくれて…ありがと」
「……当たり前だろ」
珪は雪流の身体をさらにきつく抱きしめる。
「あしたは…がっこいくから…」
「バカ…無理するな」
雪流の瞳を覗き込むように、珪は顔を近づける。
「………ん」
「俺、明日も来るから」
「…うん」
上気した頬に触れれば、その手に重ねられる細い指。
「早く治して、また一緒に出掛けよう」
額をあわせ、お互いの吐息が感じられる程の距離。
「……うん」
雪流の口唇にキスを落とすと、
「や…うつっちゃう…」
予想通りの反応に、珪は口元を緩めた。
「キスもいっぱいしよう」
雪流にしか見せたことのない優しい微笑みを浮かべて言えば、
「………うん」
熱だけではないだろう、頬を真っ赤に染めた雪流が頷いた。
「だから、もう…ゆっくり休め」
耳元で囁かれる言葉は、極上の子守唄。
「……ぅ…ん」
雪流は珪に抱かれたまま、再び眠りに落ちていった。
雪流が眠ったのを確認してから、ベッドに横たわらせる。
「…相変わらず、俺よりこっちの方がいいのか?」
苦笑いを浮かべた珪が見つめるのは、雪流が抱きしめて離さないぬいぐるみ。
「……いつかその場所も俺のものにしてやる」
誰に言うでもなく珪は呟き、眠る雪流の口唇を自分のそれ塞ぐ。
「……あ」
不意に思い出して、珪が鞄から取り出したのは真っ赤な林檎。
雪流にと買って来たのだが、渡すのを忘れていたらしい…。
「…………」
しばらく林檎を見つめていた珪がおもむろに今度は鞄からペンを取り出して、林檎に何か書き始めた。
「…………じゃあ、また来るな」
その林檎を雪流の傍に置き、珪は静かに部屋を後にした。
その場に珪を知る者がいたら間違いなく卒倒する程の、最上級の微笑みを浮かべて。
次の日、雪流が目覚めた時、傍にあった真っ赤な林檎。
「…珪ってば…クス」
その林檎に見慣れた字で書かれた言葉を見て、雪流は嬉しそうに微笑んだ。
【約束、忘れるなよ!】