[夏の風に逆らいながら ―the Season for Love―]
あの日から・・・あの日の笑顔が離れないまま、風は吹き続いてる。
今日は登校日だ。
当然、椎名も来るだろう。
この風の正体を突き止めるんだ。
「へぇー、そんなに近いの?」
「うん!すっごい近くでさ。キレイな川とかあった!今度は早野も一緒に行こう?」
椎名はいつも竹内と一緒にいる。
二人が一緒にいない時なんて数えるほどもないはずだ。
「二人で?」
「!・・・みんなでっ!!」
「ハイハイ、分かってます」
椎名のクルクル変わる表情を竹内は独占していた。
「多久人?何見てんの?」
「・・・あの二人・・・仲良いなと思って」
俺は二人から視線を逸らさずに、気の抜けた声を出す。
ったく。なんだか見てると、やる気が失せる。
「鋼と竹内?あぁ・・・でも、マジに噂とかあるぜ?」
「噂?」
「まぁ、誰だってさ・・・鋼見てれば考えそうなことだけどな」
渦巻く・・・嫌悪感。
聞くんじゃなかった。
噂が俺を支配した。
嘘か本当か・・・確かめたい。
何かが、俺の中で動き始めた。
その日の放課後。
俺は担任に呼ばれて遅くまで残っていた。
教室のドアに手を掛けようとした時、誰もいないはずの教室から微かな話し声が聞こえてきた。
「・・・」
ドアの隙間から聞こえる微妙な声色を聞き取る。
「翡翠?って宝石の?」
竹内・・・。
「そ。翡翠の原石だって、父さんが言ってた。上流の方から流れてくるんだって」
と・・・椎名の声だ。
俺は息を殺してドアの隙間から二人を見つめた。
竹内は椎名の机の上に横向きで足を組んで座り、緑色の石を陽に透かして見ていた。
翡翠・・・あのキャンプの時、椎名が探していた物か?
「いいの?勝手に持ち帰って」
「・・・いらないの?だったら返して!それ、一コしか見つけられなかったんだから」
「ウソだよ・・・サンキュ。じゃあ、僕もお返ししなきゃ・・・」
言い終える前に、竹内は躰をひねり、椎名に顔を近づけた。
「!!」
瞬間。
息を呑んだ。
頭を支配していた噂話など、一瞬にして消え去った。
噂は・・・本当だった。
二人がキスしてただって?
現実はそれ以上じゃないか!!
世界が変わった。
俺の中で吹き荒れる・・・風。
「っん・・・ん・・・」
喘ぐような椎名の声。
込み上げる・・・鼓動。
「やめっ・・・誰かに、見られ・・・る」
「・・・そうだね」
だけど、竹内は椎名の言葉を無視して、わざといたぶるようなキスを続ける。
髪に、額に、目蓋に、頬に、耳に、それから口唇に・・・。
そして、その手は椎名の胸元を手探りで探し求めていた。
「さ・・・っや」
椎名の腕が竹内の首を絡むように抱きしめる。
はだけた胸元。
息を殺して吐く吐息。
どうしたっていうんだ・・・瞳が離せない・・・。
軽く舌舐めずりをして、カラカラに渇いた口唇を潤しても、またすぐに乾いてしまう。
「だめっ・・・!」
椎名が声を洩らす。今にも消えてしまいそうな声を・・・。
「・・・今日、僕の家に泊まりにおいで。鋼の好きなハンバーグ作ってあげるよ」
竹内はキスを止めて、呼吸の乱れている椎名を抱きしめる。
「・・・チーズもないと・・・ヤダ」
竹内は椎名の子供みたいな問いかけに笑顔で答えた。
普段、絶対にみせない笑顔だった・・・それだけ、椎名が好きなのか?
「やっぱり、一番好きなものはデザートにとっておかなきゃな」
竹内はそう言って、慣れた感じで椎名の口唇をふさぐ。
「・・・バカ」
「クス・・・そろそろ帰ろうか」
俺は慌てて教室から離れた。
二人に見つからないように廊下の曲がり角に隠れる。
二人の足音が聞こえなくなってから、今度こそ誰もいない教室のドアを開ける。
殺風景な教室。
さっきの緊張感がまだ残っていた。
手が・・・震えている・・・。
不意に浮かんできたのは、椎名の表情。
頬を赤く染めて照れくさそうに笑っていた。
胸が締めつけられた。
その笑顔が、俺に向けられれば、どんなに幸せだろう・・・。
「椎名・・・鋼」
そう・・・これは恋だと、自覚した。
――ガラッ――
「!!!」
「あれ・・・多久人?なにしてんの?」
心臓が・・・破裂しそうだ。
「ん・・・先生に呼ばれててさ。椎名こそ、どうしたのさ?」
声が・・・震える。
「ちょっと、忘れ物しちゃって・・・あった」
椎名の手には一本のフィルムと使い捨てカメラが握られていた。
「現像?」
「うん。父さんのとオレの」
「・・・俺がしてやろうか?俺、写真の勉強してるんだよ。家に暗室あるし、タダでしてやるぜ?」
「マジ?写真の勉強なんてすごいじゃん・・・じゃあ、カメラマンとかになるの?」
「・・・そのつもり」
カメラマンにはなりたい。
ただ、完璧な見本が身近にいすぎて、考え直し中ではあるけどな。
でも、やっぱり、カメラは好きなんだよな。
「じゃあ・・・父さんのフィルム頼んじゃってもい?仕上がりいつでもいいからさ」
「そっちのカメラは?」
「ん、こっちはまだ撮り終わってないんだ」
椎名からフィルムを受け取る時、指先が軽く触れる。
それだけのことなのに、鼓動がどんどん早くなる。
「じゃあ、またな。多久人」
!!椎名が帰ってしまう。
竹内の所へ・・・嫌だ!
そんなの絶対に嫌だ!!
「・・・椎名・・・ココ、キスマーク付いてる」
気が付くと、俺は椎名の鎖骨に指を伸ばしていた。
「えっ!?」
椎名の表情が一変して焦り出したのが分かる。
「なぁ・・・男とセックスして楽しい?」
口からこぼれた言葉は最大の禁句。
「っ!・・・何・・・言って・・・?」
椎名は俺を見つめている。
青ざめた、凍るような表情で。
「好きになったのが、たまたま男だったから?それとも、相手が竹内早野だから?」
どうしたんだ・・・止まらない。
椎名の表情は強ばっていくばかり・・・。
違うんだ・・・俺は、お前を竹内の所へ帰したくないだけだ。
椎名に微笑んでもらいたいだけなんだ・・・。
「それ・・・誰にも言うな。言わないで・・・くれ」
「条件次第だな」
俺の中にこんなに激しい感情があったなんて知らなかった。
それは、なんとしても椎名を俺の物にしたいという…欲望の塊。
「どん・・・な?」
「俺に抱かれる、とかな」
「!?」
椎名の困惑の表情が、俺の胸を揺さぶる。
「・・・そうだな。今夜九時・・・ここに来いよ」
「今日は・・・」
「何か用事でも?」
竹内の家になんて行かせない。
「・・・分かった」
椎名は無感情に言い放つと教室を飛び出した。
「カメラあった?」
「あ・・・え?カメラ・・・あったよ」
「・・・鋼?どうかした?」
「!?・・・何も、ないよ」
「鋼」
「本当に・・・なんでもないってば!」
椎名の表情を思い出す。
暗く、怒りを秘めた瞳。
だけど・・・その瞳に浮かぶ妖艶な色気。
窓の外から話し声が聞こえてきた。
竹内と椎名だ。
俺は椎名を見つめる。
「椎名が・・・好きだ」
!!不意に竹内が教室・・・いや、俺の方を見た。
何・・・まさか、今の聞こえた?
そんなはずはない。
ただの偶然だ、そう・・・偶然。
笑いが止まらない。
そうだ・・・椎名は今夜・・・俺の物になるのだから。
「・・・早野。ちょっとコンビニ行ってくるね」
「何しに?」
「えっ、あ、カメラ出すの忘れちゃって・・・」
「・・・ふぅん」
「すぐ・・・帰ってくるから」
腕時計が九時のアラームを知らせる。
と、同時に廊下で足跡が響く。
「・・・よく来たね」
ドアが開き、そこには尊い姿。
「お前が来いって言ったんだ」
俺を睨むような瞳で見つめる。
「ハハ・・・そうだったな」
目眩がする。
頭の中はこれからのことでいっぱいだ。
君をどうやって楽しませたらいい?
君はどうやって楽しみたい?
「アイツと・・・どんなことしてんの?」
俺は椎名の顎を人差し指でしゃくる。
半開きの口唇に指を差し入れ舌の感触を楽しむ。
「・・・聞いて、何するのさ」
「同じ・・・それ以上、気持ちよくしてやるよ」
背筋がゾクゾクする。
込み上げてくる想い。
その細い躰を折れそうなほど抱きしめる。
抱きしめた部分のシャツが軽く汗で滲む。
俺の耳元で呼吸をしているのが分かる。
一定のリズムで、ゆっくりとした椎名の吐息。
俺は椎名を机の上に座らせる。
大好きな椎名・・・椎名は俺に逆らわない・・・逆らえないんだ。
躰に稲妻が走る。
もう、歯止めは効かない・・・理性が飛んだ。
「・・・椎名」
心地良い響き。
それは尊い人の名前。
「や・・・だ・・・」
その吐息がゆっくりと喘ぎに変わろうとしていた。
椎名の顔を少しだけ上に向かせて、舌を絡める。
椎名の表情が歪む。
露になった椎名の躰・・・その秘めた色気に鼓動が走る。
躰中の血が逆流を始めたみたいに熱い・・・。
「俺の名前・・・呼べよ」
「いや・・・だ」
「・・・これでも、いや?」
俺は椎名をうつ伏せにして、その躰を荒々しく机に押しつける。
「やめっ・・・っあ・・・っ」
虚ろな瞳。
閉じきらない口唇。
飲み込むことさえもままならなくなった唾液が口唇から首筋を伝う。
俺は椎名の首に絡めるように指を回す。
細い・・・少し力を入れれば折れてしまいそうな、細い首に・・・。
「!っ、や・・・だぁ!」
獣のような絶対服従の姿勢・・・それでも、椎名は俺を受け入れない。
可哀想な椎名・・・俺が、アイツのことなんて忘れさせてやる。
「あっ?あ・・・あぁ!」
重なり合い、汗ばむ躰。
悲鳴とも喘ぎとも似つかない椎名の艶めかしい声と机の軋む音だけが耳に響いた・・・。
椎名はグッタリとして机にしがみついている。
真夏の締め切った教室は、昼以上に蒸して、その細い躰は汗や体液に濡れている。
何度、欲望を満たしても、満たしきれない想い。
愛しい椎名・・・一度でいい・・・一度でいいから・・・俺の名前を呼んでくれ。
「・・・気が・・・済んだ」
椎名の声ははっきりと聞き取れた。
躰を震わせながら、朦朧とした意識の中でも声だけは俺に逆らっている。
「そんなに、アイツが好きなのか・・・竹内早野が・・・」
「オレは・・・」
椎名は窓の外の桜の木を見つめながら、ゆっくりとした・・・しかし、激しさを込めた声色で話し始めた。
「オレ、アイツにも・・・お前と・・・同じコトされた。そこの桜の木の下で・・・別に女じゃないし、それほどショックじゃないと思った。でも、現実は違うんだ・・・どんどん早野にハマってく・・・一人じゃ何も出来なくなるぐらい・・・オレは早野を・・・オレをこんな風にしたあの人を憎んでる。でも・・・多分・・・憎んでるのと同じくらい好きなんだ。だから、オレは早野を意識してる・・・」
――カチッ――
耳に馴染まない安っぽい音と、一瞬の光が瞳に焼き付いた。
写真・・・誰が・・・?
「こんな所で、そんな告白を聞くなんて思いもしなかったよ」
「!!!!」
聞き慣れた声・・・教室のドアに顔色一つ崩さずにもたれている竹内早野の姿があった。
「あ・・・あぁ・・・」
椎名の顔色が一瞬にして豹変した。
躰の震えが激しさを増していく。
震えを止めようと、自分の躰を抱きしめているが、それさえも無駄な努力のように思えた。
俺はそんな椎名に触れようと手を伸ばす。
「触るな!・・・鋼は僕の物だ」
空気が変わった。
一気に緊迫したムードに包まれる。
「なんで・・・ここ・・・」
椎名の声は、さっきまでとはうって変わって、弱々しくなっていった。
「カメラ。出すんじゃなかったのか?」
竹内の手にはカメラがしっかりと握られていた。
「・・・僕に嘘をついてまで、そいつと寝たかったの?」
「!!・・・」
椎名の顔色が更に蒼白くなっていく。
もう、首を横に振る力も残ってないのか、竹内を縋るような瞳で見つめていた。
「・・・そんなに、僕が信じられない?」
竹内は椎名の傍に行き目線を合わせると、椎名の頬を指先で軽く叩いた。
軽くといっても俺がそう見えただけだ。
実際、椎名の頬はうっすらと赤みがかり、熱を持っていくのが分かった。
「・・・だって・・・オレ・・・」
「僕達の関係って、ばらされると困るの?だから、自分を犠牲にした?」
竹内は床にばらまかれた服を集めて、自分だけでは身動きの取れない椎名の手を取り、服を着せる。
「・・・じゃあ、それで犠牲になった僕の心は?」
シャツのボタンを留める竹内の手が止まった。
俯き加減で上手く表情がつかめない。
「僕を憎んでもいい・・・僕は鋼が傷付くこと以外、怖いものなんてない。それは鋼に嫌われる以上に・・・怖い。だから、守りたいのに・・・それなのに、自分から傷つくのはやめてくれ!」
竹内は椎名の躰を抱きしめる。
愛しい者を、宝物を扱うように・・・優しく抱きしめる。
・・・竹内は椎名のことを本気で愛してるんだ。
相手の気持ちを大切にしすぎるから、すれ違い、傷つくんだ。
でも・・・俺の気持ちはどうなる?
俺のこの気持ちの行き場は・・・?
「そんなの・・・言ってくれなきゃ分かんないじゃん・・・オレ・・・オレは」
椎名は自分の顔を両手で覆うように隠す。
「僕だって分からないよ。鋼は何も言ってくれないじゃないか・・・」
竹内の驚愕とした顔。
椎名の切なそうな表情。
・・・こんな時に、椎名を色っぽいと思うことは・・・いけないことだろうか?
それでも、やっぱり・・・俺は椎名が好きなんだ。
でも、俺は相手の気持ちを考えるより先に、自分のことを考えてしまう。
恋愛は自分のためにするんだから・・・欲望とエゴを満たすためのものなのに・・・なのに・・・。
「綺麗事ばっかりだな」
「・・・荒木」
俺を睨む竹内の瞳には怒りしかなかった。
最愛の人を傷つけられたことへの怒り?
最愛の人を守れなかった自分への怒り?
「どんなに綺麗な言葉を並べたって、お前も俺も同じじゃないか。椎名を・・・無理やり抱いたんだろう?あの桜の下で!」
・・・情けなかった。
今更、過去を蒸し返しても仕様がないのに・・・それでも俺は・・・。
「・・・」
竹内の表情に陰りが見えた。
俺に見せた初めての焦り。
「これで、対等な立場ってトコだな」
「!?・・・なんだよ、それ・・・さっきから・・・対等な立場?じゃあ、オレはお前達とは対等じゃないワケだ!」
椎名のかすれた声が教室に響く。
俺達に対する憎しみや、怒り、悲しみが混ざった声音。
そして、自分自身に対する、行き場のない苦しみ。
「早野だって・・・自分が可愛いんだよ!」
椎名は竹内に捉まれていた腕を振り払う。
「あの時・・・なんでオレを抱いたんだよ・・・お前の好きって・・・なんなんだよっ!」
椎名の瞳に浮かぶ涙。
それは、何に対しての涙?
誰のために流しているんだ?
少なくとも・・・椎名自身に対しての涙じゃ・・・ない。
椎名こそ、自分よりも相手の心の痛みが分かるのかもしれない。
自分を犠牲にすることを少しも恐れずに、相手を信じて・・・そして、裏切られる・・・。
椎名は人を愛すべきじゃない。
人から愛されるべき存在なんだ。
そう・・・俺が、本当に愛すべきものは自分じゃない・・・椎名だ。
「お前だって・・・オレを抱いてどうしたいのさ?オレは早野に対抗するための単なる道具だろ?」
「違っ・・・」
言葉が見つからない。
どう、伝えればいいんだ。
「・・・俺と竹内は同じなんだ・・・お前が好きだから抱いた。ただ、それだけだ・・・」
本当にそれだけなんだ・・・。
心の中で自分の気持ちに念を押す。
椎名に上手く伝わっただろうか?
上手く伝わらなくてもいいんだ・・・俺の気持ちさえ、本当の気持ちさえ伝われば・・・それでいいんだ。
「そんなの・・・オレの気持ちはムシ?なんで・・・好きって気持ちだけで・・・動くんだよ・・・?みんな勝手だよ・・・早野も、多久人も・・・それに・・・」
「・・・鋼?」
?・・・今、椎名は何を言いかけた?それに・・・の後は?
「だいたい・・・好きって、オレのどこがそんなにいいのさ?お前らの方が・・・全然かっこいいし・・・オレは、男だぜ?」
「・・・鋼は、どう思ってるのさ?僕の・・・僕達のこと」
竹内は、俺を見て言い直し、すぐに椎名を見つめる。
「・・・」
「好き?嫌い?」
椎名の表情は明らかに困惑していた。
それは、竹内に問い詰められているせいだろうか?
それとも・・・答えが、決まっているせい・・・?
もしそうなら、俺を気遣っているんだろう?
優しい椎名・・・俺は椎名の言うことなら、何でも聞いてやる・・・嫌いと言うのならそれでもいい。
もう、お前に付きまとったりしないから・・・でも、俺の気持ちだけは、忘れないでいてほしいんだ・・・椎名。
俺は、ゆっくりと息を飲み、椎名を見つめた。
「・・・嫌いじゃ・・・ないよ・・・二人とも」
「え・・・」
「・・・早野を想う気持ちと、多久人を想う気持ちは全然違う・・・でも、お前達のこと・・・嫌いじゃないからこんなに悩んでるんだろ!」
今のは・・・聞き間違い?
俺を・・・嫌いじゃ・・・ない?
―――・・・風が・・・やんだ。
「早野も多久人も・・・オレが好きなんだろ?それは分かった・・・でも、オレが・・・オレは、まだ分からないよ・・・オレは誰を好きなのか・・・オレが本当に好きなのは誰なのか・・・だから、考える・・・」
そう言い終えた椎名は、机の脚に両手で縋りながら、ゆっくりと立ちあがる。
「・・・新学期には答えを出すから・・・」
椎名は重々しい足取りでドアに向かう。
「!椎名・・・」
「鋼!」
椎名をそんな風にしたのは、竹内と・・・この俺。
「しばらく・・・誰とも逢いたくない」
弱々しく言い残して、椎名は教室を後にする。俺は・・・俺達は椎名の後を追うことすら出来なかった。
「・・・本当に、鋼を・・・抱いたのか?」
椎名がいなくなってからの長い沈黙を破ったのは、竹内の低い声だった。
「見たら、分かるだろ」
俺は竹内に食って掛かるような言い方で返答した。
そうしないと、こっちがその激しい怒りに負けそうだったんだ。
「そう・・・あ、荒木は鋼と違って丈夫だよな。歯、食いしばれよ!」
―!!!―
予告後すぐの左頬への拳での殴りつけ。
不覚にも数歩よろけた。
「・・・っにすんだよっ!!」
「お前だけが悪いんじゃないだ。僕のことも殴れよ・・・それで50/50だろ」
竹内も椎名のことが大事なんだ。
今回のことは、俺一人の問題じゃないって認識してる・・・。
でも、それとこれとは話が別だ。
「そう・・・だよなぁ!」
やられたら、やり返す。
それが、モットーだろ。
俺は遠慮なく竹内に殴りかかる。
「でも、お前の方が悪いんじゃねぇの?今まで椎名の気持ちを無視したまま、幾度となくアイツを抱いたんだろう!?」
「お前と違って嫌がる鋼を抱いた覚えはないっ!!」
「じゃあ、なんで椎名があんなに悩んでんだよっ!?納得いかないことがあるからじゃないのか!?」
嫉妬に狂った、醜い争い。
でも、俺達に・・・俺にとっては聖戦なんだ。
たった一人の、尊い人を求めての・・・。
いつまで、殴り合いを続けたのだろう。
お互い、息が上がり、肩で呼吸をしていた。
目が霞み、口の中は血の味がする。
それは、竹内も同じだろう。
ふと、正気に還った時、俺は急に怖くなった。
俺をここまでさせる、椎名の魅力。
心の奥底に眠っていた、必要以上の独占欲を掻きたてる。
その場にいなくても、俺を狂わせ続ける、その魅力が・・・。
「椎名・・・」
それでも、俺はその魅力に惹きこまれてしまうんだ・・・もしかしたら、竹内も同じなのかもしれない・・・。
「鋼は、絶対に渡さない」
竹内がたまにみせる本音。
それは、俺と全く同じ想いで・・・。
「それは、椎名が決めることだろ」
そうは言ってみても、心中はそんなに冷静ではいられない。
今すぐ、椎名に逢いたい。
椎名の名前を呼びたい。
椎名を抱きしめたい。
その衝動を押さえるのが精一杯だった。
「続きは・・・新学期・・・か」
竹内はカメラを自分の手の上で弄ぶ。
俺は、それ以上、何も言えなかった・・・。
そして、誰もいなくなった教室。
俺は自分の手を見つめた。
・・・震えている。
椎名を抱いた感触が・・・鮮明に残っている。
俺の中に吹く風が、恋に形を変えた瞬間。
「後、一ヶ月か・・・」
窓の外では明るい月明かりが地面を照らしていた。
若葉の茂った桜の大木が、俺を嘲笑うかのように見つめていた。
椎名は・・・俺達を好きだと言った。
けれど、俺達を愛していない。
椎名の言葉の先には、いつも誰かがいる・・・。
椎名は俺達にその誰かを追い求めてるんじゃないのか・・・?
だったら、俺のこの想いはどうなるのだろうか?
心の中に渦巻く不安。
その反面、満たされた欲求。
俺は、その想いを胸に綴じ込めた・・・頑丈な鍵をかけるように・・・。
この鍵を開けられるのは、椎名だけだ。
決められた未来なんてつまらない。
自分で作った未来だからこそ、生きてる意味があるんだ。
それが、どんなに苦しくても、俺は、自分に正直に生きていたい。
未来は誰にも分からない。
だからこそ・・・未来に向けて吹く風に、逆らいながら生きていきたい・・・。
初UP (C) 19991016 志月深結
Renew (C) 20000701 志月深結