辺りは珍しく静かだった。
いつもなら、この赤城はたくさんの走り屋達で賑わっている。
だけど、今日に限って誰一人見当たらなかった。
啓介はFCのナビに座っていた。
自分の愛車、彼の明るく元気なイメージと重なる黄色のFDは月に一度のメンテナンスでお休み中なのだ。
だが、啓介はこの日を楽しみにしていた。
大好きな兄の隣りでゆっくりとした時間を過ごせる。
それが、啓介の幸せだった。
やっぱりアニキはかっこいいなぁ♪などと思いながら涼介の横顔を見つめる。
そんな啓介の視線に気づいたのか、涼介は優しい笑顔を見せた。
最愛の弟、啓介にしか向けられない笑顔だ。
そんな特別な笑顔も、啓介にとってはいつものことなので、涼介の想いはまるで伝わらない。
当たり前のように受け止め、涼介にまるで子供のような満面の笑みを返した。
涼介はその笑顔を見るたびに、こみ上げてくる激情を抑えるのに必死だった。
素直で純粋な啓介。
生まれ持った才能なのか、啓介は本当に真っ直ぐに成長した。
何をやっても周りから認められるカリスマ性を持っていた。
その人望と、屈託のない魅力が周りを惹き込んでいくのだ。
疑うことを知らない、愛されることを当たり前のように受け入れる啓介。
自分とは全く違う位置に在る啓介。
けれど、啓介に羨望や嫉妬を感じたことは一度もなかった。
そうなるように育てたのは他でもない涼介なのだ。
何も警戒を持たず、自分に絶対的な信頼を置いている。
しかし、自分にこそ警戒を持ち、疑うべきなのに、と涼介は口元だけで自嘲気味に微笑した。
涼介にとって、啓介は愛すべき存在なのだ。
涼介が唯一、愛してやまない…啓介のために自分は在るのだと思っている。
「うぁ、めちゃくちゃキレーな月!な、アニキ。車停めて!!」
急かす啓介に「落ち着けよ」とつぶやいて、涼介は数十メートル進んだ停車場で車を停めた。
「すげぇ〜!!」
車が停まったのと同時に啓介は元気良くドアを開けて外に出ていた。
さっきから、すげぇ、を連呼している啓介を涼介は愛しそうに見つめる。
「アニキも外出ろよ。すっげぇ、綺麗な満月だぜ」
月なんかよりも、啓介を見ている方が目の保養になるな、などと涼介が考えているなんて、啓介は知る由もない。
「そういえば、今日は月蝕だったな。もうすぐ見れるんじゃないのか?」
本当はずいぶん前から月蝕のことを知っていた。
今日、啓介にメンテを勧めたのは他でもない涼介なのだ。
「マジ!?月蝕まともに見るの初めてだぜ!」
素直に喜びを表現する啓介。
そんな啓介が見たかったのだ。
「…知ってるか。月蝕にまつわる伝説」
急にそんな事を言い出した涼介を啓介は不思議そうな眼差しで見つめる。
少し首を傾げ、キョトンとした瞳が涼介の心を鷲掴みにする。
いつも手の届きそうな場所にあるのに、絶対に触れられない。
「太陽はいつも明るく輝いているだろう。そして、月を照らしていた。太陽がないと月は輝くことが出来ないからな。月はそんな太陽が大好きだったのさ」
そんな涼介を試しているかのように、それで?と興味深そうに言いながら啓介は涼介の腕を組んで無防備にジャレついてくる。
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太陽は自分がどんなに輝いているか知らない。
無意識のうちに周りを魅了していく。
太陽は誰のものでもない。
みんなが必要としていて、太陽がないと生きていけない。
そして、月がどんなに太陽を想っても、その願いは届かない。
だけど、月は太陽をあきらめられなかった。
叶わない想いに泣くことしか出来ない月を、太陽は知っていた。
だから…月に会いに行くことにした。
ほんの一瞬だけど、月は太陽と結ばれることが出来るようになった。
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「だから、月蝕の日の月は最も美しく輝いてるんだ…」
そこまで言って、涼介は隣にいるはずの啓介がやけに静かなことに気づいた。
涼介は肩越しに啓介の顔を覗き込んで、思わず言葉をなくした。
「…そんなの…ねぇよ」
啓介は大粒の涙をボロボロとこぼしていた。
「啓介っ!?」
21にもなる大人が人前でこれほどまでに素直に泣けるだろうか?そう思いながらも涼介は、そんな啓介が可愛いくて仕方なかった。
「好きな人と、一緒にいられないなんてイヤだ!」
「啓介は我侭だな」
もちろん、そんな我侭も可愛いのだが…思わず言ってしまいそうになって、慌てて自制を取り戻す。
「我侭でいいよ!でも…好きな人と一瞬しか会えないなんてオレはイヤだ。オレはずっと一緒にいたい」
「…本当にそう思うのか?」
「うん…アニキは違うのか?」
「…俺も…そうかもしれないな」
お前とずっと一緒にいたい、だから、兄弟という関係を壊さずにいるのかもしれない。
「俺は…卑怯だな」
「?急に何言ってんだよ」
「…啓介」
涼介の声に啓介の躰が強張った。
あまりにも真剣な声…。
「…アニキ?」
気がつくと、啓介の躰はボンネットに押し倒されていた。
「な?どうしたんだよ?おい、アニキッ!?」
乱暴だと思うぐらいのキスで口唇をふさぐ。
すぐに舌を絡めて有無を言わせない。
「お前は太陽なんだ」
「え…?」
「そして俺は…月」
もう一度、涼介の口唇は啓介のそれをふさぐ。
想像よりもずっと柔らかい口唇。
「…んー!んー!アニキッ!!」
なんとか口唇を離して自由になった啓介は涼介を見つめた。
まるで咎めるかのような瞳で涼介を見つめていた。
「…すまなかったな…」
その瞳を見つめてはいられなかった。
「…んで…あやまるんだよ?アニキにとって…あやまらなきゃいけないことなのかよ?」
「違う!ただ…お前に……」
啓介に嫌われたくない。
思うことは、ただそれだけ。
「…オレのこと…好きなのか?だから…キス…したの?」
そうだと言ったら、お前は俺を嫌うだろうか?
少なくとも、今までのような純粋な瞳で俺を見てはくれないだろう…?
先走る想いに言葉がついてこなかった。
涼介のこんな姿を他の者が見たら、どんなに驚くだろう。
それほど、涼介は追いつめられた表情をしていた。
「…なんで…何も言わないんだよ?…やっぱり…冗談なのか?」
無言の涼介の答えを啓介は否定と受け止めた。
「オレ…アニキのこと、好きだよ。でも…アニキは、違うんだな」
「…お前の好きと俺の好きは…違うんだよ・・・」
「違わねぇっ!オレだってアニキが好きだっ!ずっと一緒にいたい…」
「……啓介」
啓介は、涼介に喋る隙を与えず話し続ける。
「オレは太陽なんてやだ!アニキが月なら、オレ、月のウサギになってずっとアニキと一緒にいるっ!!」
…この弟は…なんで、こんなに嬉しいことを言ってくれるんだろう。
「月の…ウサギか…」
涼介の表情がゆっくりと綻んでいく。
「啓介…俺は、相当お前に惚れてるらしい」
綺麗な笑顔を浮かべて、涼介は啓介の躰を抱きしめる。
「…ア…ニキ?」
「俺と…一緒にいるか?」
耳元で低く囁かれて、ゾクリと背中がよだつ。
啓介は震える腕で涼介の背中を抱きしめる。
「アニキと、一緒がいい…」
………愛してる………
消えてしまいそうな囁き。
どちらのものともなく、月明かりに溶けていく。
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月の傍にはウサギがいて、いつも月を励ましていた。
ウサギは月が大好きだった。
例え、月が太陽を想っていても、ウサギは月が大好きだった。
ずっと、一緒にいられれば、ウサギは満足だった。
そんなウサギを、月はだんだんと愛していった。
いつしか、太陽よりもウサギを愛するようになった。
そして、月はウサギの傍にいることを選んだ。
ウサギを愛し、守るためだけに…。
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