「榊警視。お疲れ様です」
「あぁ」
私は警視庁捜査一課の榊圭吾(28)。
昨年、ロス市警での研修を終え、今は本庁に勤めている。
ありきたりで平和な毎日が嫌なわけじゃないが…少し、退屈してきたところだ。
車の助手席に鞄を投げ込んでハンドルを握る。
いつものように流れるネオンを見つめながら家に帰るつもりだった…はずなのに…その日は、なぜかすぐには帰りたくなかった。
「どうやら、来る場所を…間違えたようだな」
東京の新名所…なのか?台場の海は恋人同志であふれていた。
一人では海を見る気もなくなった。
かといって、呼び出せる相手もいないので、渋々と車へと足を運ぶ。
「…!」
公園のベンチに動く影が見えた。
暗闇ではっきりとは見えないが確かに人影だ。
これは…どうしたものかな。
こんな所にもホームレスなんて…。
とりあえず、保護して…。
「ちょっと、いいですか?」
!!…驚いた…。
まだ、16、7の子じゃないか…。
それにこの子…ボロボロだ。
「…何か用?」
女…男…どっちだ?
どっちとも似つかない妖艶な容貌、それとは裏腹に乱れた服装が私の瞳を惹き付けた。
「君…こんな所で何してるんですか?それに、未成年でしょう」
「あ〜…あんた、補導員?」
「刑事ですよ」
「ふ〜ん…で?逮捕するの?」
おや、顔色一つ変えないなんて…。
「するんなら早くしなよ」
今時、こんな子がいるなんて…。
「あなたを逮捕する気はありませんよ」
しかし…この子を警察に保護させるのは、あまりにも危険な気がしますね。
「じゃあ、どうするの?」
「…どうです…私の家に来ませんか?」
…どうして、そんな事を言ってしまったんだろう?
「あんな所で、何をしてたんですか?」
その子を助手席に乗せ、車を出す。
「…人、待ってた」
「人?」
親か…?
「そう…お金、くれる人」
「お…金?」
この子…は。
「じゃないと、ジュリは生きていけない」
「ジュリ…あなたの名前ですか」
「多分、そう…コレに書いてある…」
シルバーのネックレスのトップにローマ字で『Juli』と書かれていた。
「でも、ジュリしか呼ばないから…必要ない」
「ジュリ。私はそう呼んではいけませんか?」
「…別に…いいよ」
「私は榊圭吾。今日から、よろしくお願いします。ジュリ」
こうして、私とジュリの共同生活が始まった。
ジュリは謎に包まれていた。
ホームレスに育てられ、その人が3年前に亡くなってからは一人で生きてきた。
…までは分かったが、それ以前は何一つ教えてくれなかった…ジュリ自身が何も知らないのかもしれない。
こうなったら、ジュリ自身が言いたくなるまで待つしかないですね。
「食事を作ったんですが、一緒に食べませんか?」
「一緒に…食べていいの?」
「もちろん。どうして、そんなこと言うんですか?」
「…いつも…食べさせてもらえなかったから」
ジュリの何気ない言葉が胸に突きささるようだった。
警察の腑甲斐なさ、そして、今までそのことに気付かなかった自分の情けなさ。
「今日から、一緒に食べましょう」
この子は、まだ何も知らないんだ。
これから、少しづつ教えてあげればいい…ゆっくりと…時間はたくさんあるのだから。
「圭吾…コレ、ありがとね」
「!!…ジュリ…男の子だったんですか!?」
バスルームから出てきたジュリの姿に思わず目が点になった。
私のパジャマの上着だけを羽織って、後はトランクス1枚の姿だった。
「…あ?女だと、思ってた?」
「ですがっ!ジュリは、そのっ…」
自分を…躰を…。
「…躰売るのは女だけじゃないよ。それに、男の方が高く買ってくれる人だっている」
思わず言葉をなくした。
自分の知らない世界でジュリは生きていた。
そう思うと、何か悔しくて、悲しかった。
「圭吾は…どうして、ジュリを拾ったの?女だと思ったから?」
「ちっ、違いますよ!確かに、男か女か分かりませんでしたが、そんなつもりでは…」
「だったら、そんなに慌てなくてもいいじゃん…」
「…」
た、確かに…何でこんなに慌てる必要があるんだ?
「圭吾は彼女、いるの?」
「いたら一人で台場になんていませんよ」
「…クス、そうだね。あんな所、一人でいるだけで惨めだもん」
ジュリの初めての笑顔…だけど、ジュリは心から笑ったことがあるのだろうか?
いくら笑顔を作っても、心から楽しいと感じることが出来るのか?
この子の笑顔は…どこか、哀しげなんだ…。
私は、この子に本当の笑顔をさせることが出来るだろうか?
「ジュリ。そろそろ眠らないと…」
「圭吾は、仕事だもんね」
その淋しそうな瞳が、印象的だった。
「…明日、一緒に来ますか?」
その瞳を、それ以上悲しませたくなかった。
「警察に?ジュリ…連れてくの?」
「嫌ですか?」
「…圭吾…迷惑じゃないの?」
「大丈夫ですよ」
「…じゃあ…行く」
ジュリは私のパジャマの裾を強く握り締める。
その行為は嬉しさからなのか迷惑からなのかは、まだ分からなかった。
「じゃあ、私はリビングにいますから…」
「圭吾…どうして?」
「ベッドは一つしかないんですよ。ジュリが使って下さい」
「…うん」
少し不安気の残る顔をして、ジュリは寝室のドアを閉めた。
その表情を気に掛けながら、ソファーに横たわっていると、私もいつしか、眠りについた。
−ガタッ−
…そんな物音で目が開く。
時計に目をやると、2時を回ったばかり。
そんなことより、その音が聞こえたのは寝室なのだ。
「…ジュリ?」
ドア越しに中の様子をうかがう。
ジュリが起きてる気配はない。
私はゆっくりと寝室のドアを開けた。
「ジュ…リ?」
ベッドの上にジュリの姿はなかった。
ついでに言うと、毛布も見当らない。
明かりを付けて部屋を見渡すと、片隅に小さく丸まったジュリを見つけた。
「ジュリ」
息をしていないのではないかと思うぐらいの小さい吐息。
躰を小さくして毛布に包まっている。
自己防衛…そんな言葉が浮かんだ。
ジュリは無意識のうちに自分を守っているのだ。
今まで、そうしなければならない環境にジュリはいたのだ。
この時代に!?
どうして、ジュリがそんな目にあわなければならないんだっ!?
私はジュリの躰を揺すり、無理矢理、現実に連れ戻した。
「…ん…け、いご?」
「…許して下さい!…私は…最低の人間だ。警察がこんなに無意味な事に気付きもしないで、警察という職業に自惚れていた。人を守っているという錯覚に陥っていた」
気付けば、ジュリの躰を抱きしめていた。
ジュリの暖かさを感じたかった。
「…圭吾、大丈夫だよ。圭吾は、ちゃんと守ってる…ちゃんと、ジュリを守ってくれてる…圭吾はすごいと思うよ」
ジュリ?
…傷つけた?
今…私は、ジュリを傷つけているのか?
どうして…そんな哀しげな瞳を…。
「警察って職業、ちゃんと自覚してる。じゃなきゃ…ジュリを…こんな風に扱ってくれないでしょ…ジュリこそ…最低なんだから…」
違う!
そんな事…私は警察だからジュリを保護したわけじゃないっ!!
そう思っても、もどかしさで言葉に出来ない。
この想いにあてはまる単語が見つからない。
早く、言葉を見つけなければ…ジュリを余計に悲しませる…。
そんなのは嫌だ!
「いろんな人と…出会ったけど、みんな自分のことだけ…でも圭吾はジュリのこと、少しでもジュリのこと考えてくれた。すごく嬉しかった」
少しじゃない!
私はいつだって、ジュリの事…!!
「やっぱり…こんな生活出来ないよ」
「どうしてっ!?」
「圭吾とジュリは…違いすぎるんだよ…」
自分が否定された。
頭に血が昇る。
「圭吾は…もっと、幸せになれる人なんだから…」
「ジュリは!?ジュリは幸せになれないとでも言うのか?」
「ジュリは、幸せになれないよ…なっちゃ…ダメなんだ」
「なぜ!?幸せになることは、誰も邪魔できないだろ?」
私はジュリの両肩を力強くつかむ。
細い躰…痩せているというより、やつれているといった方が正しい。
「ジュリは汚いから!…汚れてるんだ…」
瞳に一杯の涙をためて、だが、決してこぼすことなくジュリは叫んだ。
ジュリが取り乱すのは初めてだ。
私の腕から逃れようと、必死に抵抗する。
「綺麗だよ」
ジュリを初めて見た時、思わず目を奪われた。
言葉をなくした。
息をするのを忘れていた。
ふと、そんな自分を思い出す。
あの時の感情が流れ込んでくる。
「ジュリは…綺麗だ」
「や…なん…」
抵抗しなくなったジュリを、抱きしめる。
「初めて…そんなこと、言われた。圭吾は、初めてばっかりだ…圭吾といると…ジュリじゃなくなる…」
「ジュリ?」
「こんな幸せ…長く続かないのに…期待してる。ダメなんだ。期待したら…信じたら信じた分だけ、裏切られる…」
今まで何人の人を信じたんだろう?
そして…何人に裏切られた?
「私は裏切らない!!ジュリを裏切るなんて、出来ない…出逢ってまだ1日も経っていないというのに…私はどうかしてる」
「圭吾?」
本当に、どうかしてる。
まだ、17の…男の子だ。
でも、今までこんな…こんなに激しい感情を感じたことがない。
だけど、この感情は、信じられる。
「…愛しています」
私は、ジュリを裏切らない。
「け…ご?…何言ってるの?俺…ジュリはホームレスなんだよ!圭吾は警察のエリートで、これからだって期待されてるんだろ?」
ほら、そうやって自分まで裏切ってる。
でも、もう、誰も裏切らない、裏切らせない。
「どうして「俺」って言わないんですか?」
「あの人が…その方が…お客、つかまるからって…」
「私は客ではないでしょう。もう、大丈夫だよ…愛してる」
本当のジュリを見せて。
もう、偽らなくてもいいんだよ。
「っ…でも…」
「ジュリだけを…愛したいんです」
「ジュリ…っ…俺は…いつも、一人で…誰かに抱かれることだけで、一人じゃないって言い聞かせて…でも、もう嫌だ!!誰かは嫌だ!一人でいい…俺を見つけて。俺を愛して欲しい。世界中の誰よりも愛されたい!愛したい!俺だって幸せになりたいっ!!俺の名前を呼んで…一人は…嫌だ」
本当のジュリ…子供のように泣きながら、精一杯の愛情を求めてる、与えたがっている。
もう感情を殺さなくていいんだよ。
素直に泣いて、笑って、怒っていいんだ。
「私が、ジュリを幸せにします」
家族の愛情、恋人の愛情、全ての愛情をジュリに…。
「でも…俺は…」
「ジュリは私を幸せにして下さい」
私に精一杯の愛情をください。
「俺、ホームレスだよ」
「えぇ」
「俺…今まで、たくさんの人と…」
もう、迷ったりしない。
この感情を疑わない。
「…私は今のジュリを愛してるんです。子供のように愛情を求めて、与えたがってて、自分のことを『俺』と言う、ジュリが好きなんです。今のジュリがあるのは、今までのジュリがあったから…そうでしょう?」
「圭吾…俺なんかで、いいの?俺は、圭吾を幸せにしてあげられる?」
「ジュリが私を愛してくれるなら」
ジュリが私の傍にいてくれれば…それで、いいんです。
「俺、俺…」
「ジュリ…名前に漢字が必要ですね…いつまでもローマ字でいるわけにはいかないでしょう?」
「樹里…「樹」のある「里」がいい…俺の帰る場所…俺…榊樹里が…」
初めて、ジュリから私を抱きしめてくれた。
思えば、なんで、急に台場になんか行ったのだろう?
自分の直感なんて信じない方なのに…。
だけど、あの日だけは、そうしなければいけないと思った。
「…どうです…私の家に来ませんか?」
これは運命。
出逢った時から決まっていた。
あの日、全てが始まったんだ。
初UP (C) 20000515 志月深結
Renew (C) 20000701 志月深結