コイツと出会って、もう9年になる。
出会った当初、こんなに長い付き合いになるなんて思ってもいなかった。
俺の苦手なタイプだし、真っ先に切れるタイプだと思ったから。
そう思ってたのに……。
気がつけば、俺達は大学生になっていた。
[無敵のヴィーナス]
§1
「お〜い。いい加減起きねえと遅刻だぞ」
キッチンで目玉焼きを作りながら、隣の部屋で曝睡中であろう同居人に声をかける。
「お〜い」
「起きろよ〜」
「遅刻だぞ〜」
一定間隔の掛け声にも何の反応もない。
「…ったく。毎朝毎朝…」
火を消して、上手い具合に作れた半熟の目玉焼きを皿に移す。
「よし…っと」
出来あがった朝食をテーブルの上に並べた後、俺はアイツを起こしに行く。
これが毎朝の俺の定番日課。
「こら、いい加減、マジ起きろって」
寝室のドアを開けて、閉ざされた空間に光を与えるようにカーテンを開く。
「…ぅん…」
頭までかぶった布団に更に潜り込もうとする姿は、まるででかい猫だな。
「今日は休めない講義があんだろ」
枕の端で柔らかい太陽の色をした髪があっちこっちに向かって跳ねてる。
「それとも…」
男二人で寝るにはちょっと狭いセミダブルのベッドが、俺の体重も支えて少し軋む。
「昨夜の続き、したいのか?」
耳朶を舐めあげながら、わざと掠れた声を出す。
「!?!?」
一瞬、肩を竦めたと思ったら、いきなり起きあがって
「この万年発情期っ!!」
俺の頬に見事なビンタをくれやがった。
「痛ってぇな〜。ったく、毎朝起こすこっちの身にもなれってんだよ」
「もっと普通に起こせばいいでしょ!!」
「普通にしたって、お前起きねえじゃんよ」
俺の苦情も全く聞いてないのか、コイツはブツブツ言いながらもやっと覚醒する。
太陽の色をした髪の毛に、鮮やかな空色の瞳、そして雲のように真っ白な肌。
コイツは、そこにいるだけで目立つ存在。
「それじゃなくても腰痛いのに…」
恨めしげな蒼い瞳が俺を見つめてくる。
そう…俺はコイツを独占してる。
「……悪かったって。昨日は久しぶりだったからつい…な」
その太陽の色の髪に触れるのが、俺だけであるように。
「なにが"つい…な"だよ。人のコトまるっきりムシで自分だけ楽しんじゃって!」
その空色の瞳が移すのは、俺だけであるように。
「だから悪かったって。お前の言うことなんでもきいてやるから、それで我慢しろよ」
その雲のように白い肌に痕を残せるのが、俺だけであるように。
「ホント?」
「あぁ。俺が約束破ったことあるかよ?」
「……今のトコ、ない」
「だろ」
「…根拠もないくせに自信満々なトコがムカツク」
枕を噛みながら上目遣いで睨んでくる。
それだけなのに顔がニヤケちまう俺も問題だよな。
「とにかく、そろそろ起きろ!本気で遅刻するぞ、岳」
「あ、待ってよ、大輔クン!」
そう。
あれだけ苦手だと思ってたアイツは、今、俺の一番大切な"恋人"になっていた。
§2
「ねぇ〜。いい加減、車にしようよ」
俺のバイクのリアシートから降りて、岳はハーフメットを脱ぐ。
「なんでだよ?バイクのが小回り効いていいじゃん」
いつもの定位置にバイクを止めて、俺もメットを脱ぐ。
「え〜。だって、冬は寒いし、夏は暑いし、雨の日乗れないし…」
岳はメットを両手でクルクル回しながら、漠然とつぶやいてる。
「って、お前雨の日出かけねえじゃん…夏だって風受けてんだから涼しいだろうが。それになぁ、寒い時は俺にくっついてればいいんだよ」
「あ〜ぁ、賢クンの車は快適なのになぁ…」
「じゃあ、本宮なんかやめて僕のところへおいでよ」
「一乗寺!」
「もうやだなぁ〜。賢クンってば♪」
今、岳を背後から抱きしめて、それと同時に笑顔の岳に肘鉄食らってるのは一乗寺賢。
「岳、相変わらずガードが固いね…(苦笑)」
コイツも腐れ縁の一人。
高校時代は俺より岳の傍にいて、俺の知らないことも…あるんだろうな。
それに嘘か本気か、かなりの勢いで岳に絡んでくる。
俺としては、親友と争うのは気が引けるけど、場合によっちゃあ容赦しないつもりだ。
「お前もこれから講義か?」
「いや、今日はバイトだよ。岳もだろう?」
「うん。講義が終わったらね」
「じゃあ先に行ってるよ」
そう言って、一乗寺は教授棟に向かって行く。
「今日、バイトだったのか?」
岳と一乗寺がいうバイトっていうのは、教授の助手みたいなもんなんだ。
二人が受けてる共通の講義…俺は全く興味のない"心理学"の教授から頼まれたんだと。
大体、俺は経済学部、岳は国際コミュニケーション学部、一乗寺は臨床心理学部…。
こんなんで共通の授業なんて重なる方がめずらしいよな。
「うん…あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてねえ…ま、いいさ。ちゃんと待っててやっからよ」
「あ…今日はちょっと遅くなりそうだから、先に帰ってて」
「あ?」
俺が疑問の目を向けると、岳は恐々した感じで言った。
「えと…なんかね、教授に、ゴハン、誘われちゃって…」
「はぁ!?」
「ボクだけじゃないからね!賢クンも一緒だし、教授はそんな人じゃないから!全然ヤバクないからねっ!!」
岳にしてはめずらしく、一気に捲くし立てるように言う。
「ヤバイとかヤバクないとかじゃねえだろ!そういうことはもっと早く教えろよ!!」
にしても、俺は納得いかねえぞ。
「だって………」
しおらしく、俺のジャケットの裾を掴んで見上げてくる。
「…だって…なんだよ?」
「言ったら怒られると思ったんだもん…」
「あのなぁ……」
もう呆れて言葉もみつからねえ。
「……怒った?」
じつわ計算なんじゃないのかってほど潤んだ瞳がジッと見つめてくる。
「…怒ってねえよ」
俺は岳の肩を引き寄せて、柔らかな前髪に隠れた額にキスを落とす。
「終わったら電話しろよ。迎えに行ってやる」
そのままの距離で言うと、俺の腕の中で小さく頷く岳。
「…なんかされそうになったら、一乗寺犠牲にしてでも逃げろよ」
「……………アハハ(苦笑)」
§3
「…遅い」
「……アイツ、なんかあったんじゃあ」
「………まさか忘れてねえだろうな」
「いい加減にしろ、大輔!」
「だってよぉ!」
「店先でブツブツと!客が帰っちまうだろう!暇なら手伝え!」
っても、常連ばっかで帰りそうな奴なんて一人もいねえじゃん。
「わかったよ…」
それでも、チラチラと感じる視線に、俺は渋々と店の奥に入る。
「ったく、ちゃんと給料貰うからな!」
ここは俺がバイトしてるラーメン屋。
「そんな小せえこと気にするな!」
「気にするよ!!」
店長の文さん(本名は川元文太ってんだ)は一見怖そうだけどいい人だ。
ラーメン屋=頑固親父な法則を地でいってるのに、人気があるのはやっぱりその味と文さんの心意気だと思うんだよな。
なんせ、この俺が惚れこんだラーメン屋だからな!
不味いわけがないんだよ。
「そんな小せえから岳に愛想尽かされるんだ」
…口が悪すぎるってのは、このさい目を瞑ってやることにした。
「尽かされてねえよっ!!」
とりあえず、俺は前掛けだけして厨房に入った。
「ありがとうございましたー………って、何時だよ、今!!」
最後の客を見送って、イライラしながらケータイを睨む。
時計は23時を回ったとこ。
「遅すぎる!!!!」
こっちからかけようと、短縮ボタンを押そうとした時
-PPP-PPP-
岳用の着メロとは違う曲が響いた。
液晶には一乗寺の名前。
「…もしもし?」
「あ、本宮か?一乗寺だけど…」
ったく、俺にはお前なんかと電話してる暇はないんだよ。
「あ〜…どうしたよ?」
さっさと終わらせて、岳に電話しないと…。
「じつわ、岳が…」
「岳、そこにいんのかっ!?」
「いることはいるんだけど…お酒…入っちゃったんだよ」
「!?」
マジかよ…。
アイツに酒飲ませるとどうなるか知ってるだろう!?
「迎えに行く!今、どこにいんだよ?」
「パシフィックのスカイラウンジなんだけど…」
「分かっ…てめぇ、なんでそんな場所にいんだよ?」
思いっきりホテルのバーじゃねえかよ。
「さっきまで教授もいたんだよ」
「うるせぇ!いいか、絶対にそこ動くなよ!10分で行くっ!!」
俺はバイクのキーを掴むと、前掛けを店の奥に投げて飛び出した。
§4
ホテルに着いて、最上階に行くエレベーターの時間すら長く感じた。
少し照明を抑えた雰囲気と、夜景が綺麗だと有名なラウンジ。
「一乗寺!」
その一番奥のソファーで二人の姿を見つけた。
「…うわ、本当に10分で来たよ…」
「当たり前だろ!俺は岳関係の約束は破れねえんだから」
「さり気なく堂々としたノロケだね…それ」
一乗寺の隣に岳の姿を確認して、俺はソファーに座る。
「うるせぇ!ったく…無邪気な顔して寝やがって…」
一乗寺の肩に寄り掛かるようにして身体を預けた岳。
なんだか見てるだけでイライラしてくる。
俺ってこんなに独占欲とか強かったんだって、コイツと付き合い始めて気付かされた。
「どうする?ここに一枚のルームキーがあるけど?」
楽しそうな一乗寺の表情。
てゆーか、なんで部屋なんて取ってんだよ…。
そう思いながらも、半ば奪い取る感じでカードキーを受け取り、岳を抱き上げる。
「あ、明日の1限休講だからって岳に伝えといて」
「……サンキュ」
「これで貸し…何個目だっけ?」
「いつか熨斗つけて返してやる」
「岳を一晩貸してくれれば帳消しなんだけどね」
冗談半分に笑って(奴の場合ほぼ本気だろうけど)一乗寺は席を立つ。
「絶対ヤダね」
「それは残念」
一乗寺は振り向かず、肩越しに手を振った。
ベッドに岳を寝かせて、俺もその隣に座る。
柔らかな黄金の髪を指に絡ませながら、岳を見つめる。
岳と付き合い始めて、今までの俺は知らなすぎたんだと実感した。
ラーメン屋になりたいって思ったのもコイツのせいだった。
あの時、デジタルワールドでみんなでラーメン食った時。
こいつ、笑ったんだ。
"美味しいね、大輔クン"って、すげぇ美味そうに笑ったんだ。
その時、思った。
"もっとこいつの表情が見たい。俺が作ったもんでこいつにこんな表情させてみたい"って。
それから、俺の夢はJリーガーからラーメン屋に変わっちまった。
今考えれば、あの時から岳は俺の特別だったんだよな。
けど、俺は全然ガキで…こいつを避けてばっかりだった。
岳を…傷つけてばっかだったんだ…。
穏やかな寝顔は最近になって見られるようになったもの。
こんな関係になるまで、俺は岳のことを何も知らなかった。
岳が"家族"に対して劣等感を持ち、憧れを持っていたこと。
現実からかけ離れた家族の夢に苦しんでいたこと。
一緒に暮らし始めた最初の日…岳が泣きながら話してくれた。
今でも忘れられないあの時の言葉。
「ボクはいらない子なのかな」
気が付けば、俺も泣いていた。
岳を胸に掻き抱き、ただ泣くことしか出来かった。
岳にそんな想いをさせたものが憎かった。
そして、なにより…それに気付けなかった自分が許せなかった。
§5
「…こわいかお」
「え…あぁ。起きたのか」
考えに没頭してて、岳の視線に気付かなかった。
「ここ……どこ?」
岳は目を擦りながらキョロキョロと周りを見回す。
「ホテルの部屋」
簡潔に答えてやりながら"きっと何も覚えてないんだろうなぁ"と溜息をつく。
「賢クンは?」
「帰ったよ。明日は1限休講だってさ」
一乗寺から預かった伝言を確かに伝えて、俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して岳に渡す。
「ありがと……で、何考えてたの?」
それを一口飲んでから、岳は俺を見上げる。
「?」
「さっき。すごい真剣な顔してた」
「あぁ…お前のことだよ」
岳からボトルを貰い、冷たい水を流し込む。
「ボク?」
小さく首を傾げてキョトンとした顔は、凶悪に可愛い。
この場に一乗寺がいなくて本当に良かったと思う。
「そ。俺がいないと朝もまともに起きれねぇし、ご飯も作れない」
「う…」
なまじ本当のことだけに、さすがの岳も言い返せないだろう。
「それに、す〜ぐ他の男に着いていくし」
「そ、そんなことないもん!」
「ほ〜。この状況でそんなこと言うのか?」
「うぅ〜」
顔の半分をシーツで隠しながら、俺を見上げる岳。
「………ったく」
俺はそんな岳をギュッと抱きしめる。
「お前、もう俺なしじゃ生きてけないだろ」
俺だってな、今まで何も考えてなかった訳じゃないんだぜ。
「そっ…そんなこと」
「ないのか?」
抱きしめた岳を正面から見つめ返す。
数センチしか離れていない俺達の距離。
喋るたびに吐息が伝わる。
「俺はお前がいなきゃだめだ。俺の生活ペース、もう全部お前中心に回ってるもん」
「や…大輔クン…離し…」
俺の身体を押し返そうとする岳。
「俺はお前以外いらない」
けど、俺は絶対に離してやらない。
「……やだ…なに言ってるの…」
「分かんねぇの?」
ほら、お前はそうやってすぐ逃げようとするから。
「いい加減、俺のものになれよ」
だから、俺は絶対にお前を逃がさない。
「俺と、結婚しよう?」
確信があったから。
「……」
俺は絶対に岳を苦しめない。
「…………」
俺じゃなきゃ岳を幸せにしてやれない。
「………………うそ」
震えた声。
「本当」
「ウソだよ!そんなの…絶対にウソだ!!」
潤んだ瞳。
「俺はお前に嘘つかない」
「だって…だって、ボクは…」
逸らされた視線。
「お前はいらない子じゃねえよ」
全てを否定するように、強く、強く岳を抱きしめる。
「!?」
「俺はお前が必要だ。てゆーか、もうお前は"本宮大輔"の一部なんだよ!お前がいらない子だってんなら俺だってそうなんだ!!」
「…………」
「分かったか?」
岳の額と俺の額を合わせて小さな子に言い聞かせるような口調で、けれど確実に納得させる言葉。
「返事は?」
自惚れてるかもしれないけど、絶対の自信があった。
「………………」
涙を流す青い目は俺だけを映して、
「……よろしく、おねがいします」
花のように優しく鮮やかに微笑っていた。