【Baby Doll】
「えっと…」
目の前には綺麗に陳列された小さな瓶。
岳は香水の名前じゃなく瓶の形で覚えたらしく、片っ端から瓶とにらめっこしている。
店員の女の人に話し掛けられても、まるっきり無視。
僕が話し掛けても、”う〜”とか”あ〜”とか曖昧な返事ばかり。
フフ、相当、集中してるんだね。
「…あ、これ!このビン!!」
「あ、はい。イブサンローランのシャンパーニュですね」
少ないタイミングを見計らって、ここぞとばかりに店員が話し掛けてくる。
「こちらはネクタリンのトップからオークモスのラストまで、大胆で印象的な香りの変化が楽しめるYSLの名作なんですよ」
…どうして、店員ってのは自分の知識の見せつけをするんだろうね。
まぁ、それが仕事なんだろうな…。
「はぁ?」
「でも、貴方の場合なら…こっちの方がいいんじゃないかしら?」
そう言って、店員が持ち出した小さなピンク色の瓶。
「”ベビードール”っていうんですよ」
「うわぁ、イイ匂い」
その香水から香る甘い匂い。
「花とフルーツをミックスしたフルーティ・フローラル。爽やかなトップと官能的なラストが魅力なんですよ」
店員はそんなことを言いながら、岳の手首にその香りをなじませる。
「ふぅ〜ん。だって、賢」
穏やかな笑顔を浮かべて、僕に手首を近づける。
…岳、その反応はわかってないね(苦笑)
「本当だ…甘いね」
確かに、その香水の甘さは岳を思わせる。
その甘さに酔っているうちに君の魅力にどっぷりとはまってる。
まるで、同じ花の蜜を吸う蝶のように。
甘い香りに誘われて、その味が忘れられなくなるように。
“誘惑の甘い罠”ってのは、このことかな。
「この瓶も可愛いでしょう。お部屋のインテリアにも良いって、人気が高いんですよ」
それにしても…さっきから気になってたんだが…。
もしかして…この店員…。
「お嬢さんにぴったりだと思いますよ」
やっぱり!?
「…え?」
岳のこと、女の子だと思ってる。
「彼氏におねだりしてみたらどうですか?」
いや、確かに彼氏は僕だけど…。
「そ、それより、お母さんのプレゼント、見つけたんだろう?」
そんなことより、今は岳の注意をそらさせる方が先決だ。
「あ!そうだった!!コレ、このビンの香水ください!」
店員に促されて、岳は嬉しそうにレジに向かう。
とりあえず…一安心…か?
ったく…岳の機嫌を損ねた時の被害者は僕なんだからな…。
ため息をつきながら、残された香水の瓶の蓋を軽く指ではじく。
「ちゃんと買えてよかった♪」
家に帰って、岳は満足そうにプレゼントを見つめる。
「きっと、お母さん喜ぶね」
「そうだね…ボク的には嬉しくなかったけどねぇ」
「た…岳…?」
一安心…じゃなかったみたいだな。
「なんでボクが女の子に間違われちゃうワケ?」
「なんでって…それは…」
“岳が可愛いからだよ”…なんて、今は言えない…。
「………帽子かぶってたしね」
「は?」
「ほら。岳は見た目がユニセックスなタイプだし。帽子かぶってたから女の子だと思ったんじゃないかな?」
「……………」
「今日は服も可愛い感じだしね」
「……………ふぅん」
あぁ…また、被害者は僕か…。
「あはは…はは…た…岳?」
もう、笑って誤魔化すしかないじゃないか…。
「ま、そういうことにしといてあげる」
あれ…反応が…。
なんだか、やけに機嫌が…いいな。
「その代わり…」
………その瞳は…何か企んでるね…まったく。
「なにかな?」
仕方ないな…のせられるとしますか。
「コレ、買ってv」
岳は自分の手首を指差す。
それは、控えめに、だけど確かに主張する甘い匂い。
「コレって…この香水?」
岳にとても似合う香り。
「うん。買ってくれるよね♪」
「…さぁ、どうしようかな」
僕はもう買ってあげる気でいるんだけどね。
「あのね、賢。”ベビードール”ってもう一つあるんだよ…何か知ってる?」
「もう一つ?」
楽しそうな笑顔を浮かべて、岳は僕に耳打ちする。
「 エッチな下着♪ 」
「………!?」
「クスクス。買ってくれたら、着てあげるv」
まったく…子供みたいな無邪気な顔でそんな誘惑をしないでくれ。
どのみち、僕は逆らえないんだから。
「フフ…それじゃ、もう一度、一緒に買いに行こうか」
…本当、いつから僕はこんなに甘くなったんだろうね。
…後日…
「ん?お前、なんかいい匂いするな」
本宮に言われて、自分の袖を軽く嗅ぐ。
「そうか?別に何もつけて…」
思い当たる、甘い香り。
「……あぁ」
愛しい、香り。
「フフ…これはね、本宮」
今、傍にいなくても鮮明に思い出せる。
「大事な花の、移り香だよ」
そして、今日も香る甘い蜜香。
(C)20010428 志月深結
【BACK】