―バシッ!―
「…」
早野の瞳が軽く開く。
…初めて、本気で他人に手を挙げた…。
「その通りだよ…オレは人を愛したことなんてない!そうだよ!お前の言う通りだよ!!でも…でもっ!巴兄は違う!お前には巴兄のことをそんな風に言う資格なんてないっ!!」
不覚…最近のオレは泣いてばっかりだ…。
でも、止まらない…。
巴兄を侮辱することは…誰であろうと、絶対に許さない。
「オレは…子供だから…時々、自分が何をしたいのか分からなくなる。でも!それでも、オレはオレなりに愛してるんだ…お前じゃない、巴兄を!」
俺はルーズリーフを早野に叩きつけて、教室を飛び出す。
「…朝っぱらから、人の目気にせず、お昼のメロドラマやってんじゃねぇよ」
「荒木…」
「どうすんだよ!お前のせいだからな…椎名、本気で怒ってるぞ」
「分かってるよ!!…僕だって…参ってるんだ…」
「…で?そんなことで学校サボッて帰ってきたの?カバン置いたまま?」
家に着いたのは、九時。
当然のごとく、巴兄のお叱りが待っていた。
「そんなことって…アイツ、巴兄のこと、何も知らないくせに」
「別に、鋼以外の奴に知られたくもないけど…?」
「でも…っ」
「…彼は、本気で鋼が好きなんだね。鋼のこと、よく分かってる…俺のことも、なかなか見抜いてるよ」
え…?どういう意味?
「傷の舐め合い?いいんじゃない…傷も舐められない奴に言われたくはないけどね」
「巴…兄?…う…んっ」
深い口づけ。
巴兄の口唇…熱い…オレ…も。
「傷は、いつか必ず治るんだよ…」
「ん、あ…」
「…ベッド、行く?」
「や、ココでいい…今…すぐ、欲し…早く、しよ」
巴兄の首に腕を回してしがみつく。
絶対に離さない…絶対に、離れない。
「若いっていいね…朝から元気で」
巴兄に触れられてるだけなのに…も…ダメ。
「あ、やっ…んぅ…っ!」
「四日しなかっただけなのに…俺が欲しかった?」
知ってるくせに…オレがずっと巴兄を欲しがってたこと。
でも…。
「四日もだよ…巴兄だって…オレが欲しいでしょ」
悔しいから、教えてやらない…。
たまには、巴兄を困らせたい。
「…欲しいよ。心も躰も…メチャクチャにしてやりたい」
「いいよ。メチャクチャにしてよ…四日分、愛してくれるんでしょ」
巴兄と頬を寄せ合う。
口唇に指で触れる…巴兄の口唇に…。
「腰、たたなくしてあげようか?」
「そうなったら、明日、学校休むもん」
「いいね…思いっきり愛してあげる。鋼が嫌って言っても止めてやらない」
巴兄だけ、いてくれれば…いいんだ。
「あっ…と…もえ…あ、やっ…ん」
「もう?…そんなに、いいの?」
服を脱ぐ時間も惜しんで、オレは巴兄を受け入れた。
さっきから脱ぎかけのシャツが両手の自由を奪っている。
でも、そんなこと気にならない…。
「巴兄が、いけないんだ…オレを…熱くさせるから…あっ…ぅん。いぃ…そこ…もっと…ね…ぇ、もっと」
苦し紛れにソファーのシーツを握り締める。
「…鋼はいつも、もっとだね…こんなにしたのは、俺だけど…」
「巴兄がじらす…から…巴兄に、されるの…好きなの…あ…ぁ、やっ」
「いくらでも抱いてあげる…鋼が、最高に気持ち良くなるようにね…どう、気持ち良いだろ?」
「ひぁ!やっ…ん」
巴兄に後ろから抱きしめられる。
そして、そのまま…オレの躰は貫かれた。
「いい…よ…と、もえ…気持ち、いぃ…」
「俺だけだね。鋼を…こんな気持ちにさせるのは…」
耳元で囁かれる甘い声。
「う…ん…」
その声にも躰が反応してしまう…。
「ココ、こんなにしてるのに…気持ち良くないわけないよね」
「くっ…ん、巴兄…だけ、だよ…」
巴兄に触れられているだけで、気が狂いそうになる…。
「鋼は、本当に感じやすいね…もう、いきそうだよ…ほら、こんなに濡らしてる…」
「やっ!…巴…と、もえっ!」
巴兄を受け入れたまま、急に向きを変えられた。
巴兄の口唇がオレの瞳に触れる。
「俺にしがみついてな…爪立ててもいいし、傷つけてもいいから…」
言われるままに、巴兄の背中に腕を回す。
広い背中…俺を守ってくれる…俺だけを。
「ひっ!…あ、あぁ、巴兄…」
躰の感覚がないよ…。
宙に…浮いてるみたいな…カンジ。
「もっと、いっぱい…気持ち良くして…」
「…どうしようかな?今日の鋼は悪い子だからね…」
そう言って…巴兄はオレから離れ…あっ…ん、なんで…いや…だ。
離れないで…もっと…欲しい…。
「やぁ…抜いちゃ…だめ」
オレの思いとは裏腹に、完全に離れた躰。
オレは巴兄を求めて躰を起こし、ソファーの上に座り込む体勢になった。
「そうだね…ちゃんと服着て…二十分。自分の部屋で待ってな。そのままでね」
「やっ!そんなの…出来ないよ…オレ」
…こんな時に、服なんて…着れないよ。
「鋼がしないんなら、俺も何もしてやらない」
「…イジワル…」
「そうだよ。俺、鋼にだけはイジワルだから」
そんな風に言われちゃったら、断れないし、怒れないよ…。
「…二十分も待ってなきゃいけないの?」
「そ。母さんからの頼まれ物で郵便局に行かなきゃいけないんだ。あ、着替えてもいいけど…一人でいったら、絶対に許さないからね」
巴兄の口唇がオレの敏感になってる箇所に触れる。
「やっ!…もう!許さないんでしょ。だったら、刺激しないでよ!」
「クス…早く帰ってくるから」
「痛っ…も〜…拷問だよ。これって…」
巴兄が家を出て約十分。
オレは素直に自分の部屋に戻って、半泣きの状態で服を着替えた。
着替えたといっても、ブカブカの上着を羽織ってるだけだけど…。
そのまま、ベッドに横になって、躰を丸める。
動くといっちゃいそうだから…絶対に動けない。
でも…きついよ…。
「ん…ぅん…」
巴兄、早く帰ってきてよ…時間が…長い…。
オレ、我慢…出来ないかも…。
―カチャ―
玄関のドアの開く音。
巴兄?
早すぎない?
でも…早く…来て…。
―トントン―
え…ノックが二回…?
巴兄じゃ、ない…。
巴兄なら、ノックを三回するはずだよ…。
誰?
「鋼」
!!…この声…早野…だ。
なんで!?
あ…鍵、開いてた?
でも、こんな時に…。
オレ…動けないのに…。
「入るよ?…鋼…?」
オレは力任せに躰を起こす。
「何で来たんだよ!…もう、オレに関わるなよ…」
声が擦れる…力が出ない。
「なに…してんの!?それも…巴さんの愛し方?」
「…そうだよ…オレにしか出来ない、愛され方…」
「…カバン…届けに来ただけだから、ここに置くよ」
…なんで…こんな…こんな時に?
「…ふぅん…可愛いいんだね…僕の前では、絶対にそんな顔しないくせに…本当に、可愛いね…」
不意に口唇を奪われる。
今までも…何度もあった…でも、今は…。
「ひっ…あ、や…っだ…やめ…触らない…で」
「触られないと、ツライんじゃないの?」
「いや…だ。触る…な。お前じゃない!と…もえ兄…がいい…巴…と、もえ…」
力じゃ、絶対にかなわない。
オレは、いつからかそう思い込んで、諦めていた…今まではそうだった…。
でも、今はそうじゃない…オレは巴兄に抱かれたい…他の奴には、触られたくない…。
「いきたいんだろ?素直に声出せば?」
「や…だ…やだっ!やぁっ…つっ!!」
あ…あぁ…オレ…巴兄の約束…破っちゃった。
どうしよう…オレ。
「どうして…オレは、早野と友達でいたい…もう、無理なの?」
「…鋼を抱きたいのは、巴さんだけじゃない…僕は…友達じゃ満足できないんだよ…」
友達も…ダメなんだ。
だったら、オレは…早野を嫌いになるしかない。
それしか、思いつかない。
「ねぇ、僕も気持ち良くしてよ」
「やっ、やめ…て」
「忘れた?鋼がどんな風に僕に抱かれたか…思い出させてあげるよ」
なすがままの愛撫。
言葉が出ない…。
躰が、自分の躰なのに…動かせない。
「いや…い…やだ、もう、やめ…嫌い…になる」
「!」
一瞬、早野の動きが止まる。
「嫌いになる!これ以上、オレに触るな!嫌いになるから…オレを…オレを抱けるのは、巴兄だけだっ!」
些細な反抗。
でも、今、この状態から免れるなら、どんなことでもする。
「…嫌いになられるのは…困るなぁ。でも、こっちの方は…いきたがってる」
「ひぁ…う、あ…」
早野に触れられた所が、熱くなる…。
どうして…オレ…?もう…ワケ分かんない…。
気力なく瞳を閉じる。
何も…見ない…見たくない。
夢であって…ほしい。
「それ以上する気なら、俺、君のこと殺すよ」
!!…この声…。
「…タイミング…悪いですね」
「生れつき、勘が良くてね」
「とも、え…巴兄」
オレは巴兄に指を伸ばす。
巴兄に触れたい…。
早野じゃない…巴兄に。
「鋼の友達じゃなかったら、この場で殴り殺してるんだけど…」
伸ばした指に巴兄の口唇が触れる。
「…許さないって、言ったよね」
「あ、ごめ…なさい…っ」
いつもより、乱暴なキス。
そんなキス…息…出来な…い。
巴に…い。
「っふ…は…ぅ、と…もえ?」
早野がいるのに…なん…?
オレで、遊ばないで…。
「だいぶ、自信家…策略家って言った方がいいかな。竹内早野君。それとも、ただの自惚れかな?」
さっきまで早野に弄ばれていたオレは、巴兄の過敏な愛撫に、もう充分過ぎる程…感じてる…。
「どっちだって構いません…貴方だって僕と同じだ」
「同じか…俺は、お断わりするよ。自分と同じタイプの人間に、好きな人を奪われるのは最高の屈辱だからね…君は、違うの?」
巴兄…なん…で…オレ、こんな…の…。
でも…止まんない。
「あ…ぁん、い…っく…あ、ぁあ!」
夢中になってた。
巴兄しか見えなかった。
見えなくさせた。
オレを取り巻いている、心地好い気怠さが…。
「と…もえ…?」
息が切れる…途切れ途切れの言葉で、巴兄に答えを求める。
「悪い子には、罰が必要なんだよ」
微笑みながら、言わないでよ…そんなこと…。
「っ…本当に…僕にとっては、貴方の存在自体が最高の屈辱ですよ…。貴方の愛し方は間違ってるっ!」
「愛し方!?愛し方に正しいも悪いもないだろう?欲望の赴くままに人を愛す。好きな人には愛情を与える。そして、与えてもらう」
「そんなの戯言だ!」
「もちろん、人には色々な愛し方があるさ。鋼のように自分より相手の気持ちを考えたり、君のように、相手の気持ちを全然考えなかったり…ね」
「…僕が…?」
「自分で気付いてもいないんだな…まぁ、これは俺の空論でしかないけど、君は自分の力量を買い被りすぎてる。自分の中で鋼をモノとして扱ってないか?いつでも、鋼は自分の元に帰ってくる。そう思ってない?その自信が鋼を縛り付けてるんだよ。今の君は周りが見えなくなってるみたいだから、はっきり言わせてもらう…いいか!鋼はモノじゃない!考えることの出来る人間だ。とらえ所のない感情を持つ人間だ。君の思い通りにはいかないんだよ」
「オレは…早野の側にいたいと思った。コレは、恋じゃないって分かっても、側にいたかった!でも…今の早野は…もう、オレと友達でいることも否定した…オレは、お前自身に否定されたんだ!…出て行けよ…用事は済んだだろ…出て行けよ!」
涙が止まらない。
別に悲しいわけじゃないにのに…止まらない。
早野…もう…お前を好きになることなんて…ない。
あの日のお前と今のお前…違いすぎるよ…。
多分、オレが変えたんだ…オレが早野をここまで追い詰めたんだ。
それでも、オレは早野を選ぶことなんてないよ。
オレも巴兄に変えられたから…。
「…覚えておいて、僕は…鋼しか愛さない」
「鋼…ごめんな。彼…友達なのに、俺…」
「…許さない」
巴兄の瞳は…いつも、真直ぐオレを見つめる。
綺麗で不思議な瞳…。
初めて抱かれた夜…オレはずっと、巴兄の瞳を見ていた。
巴兄の瞳に映るオレ。
オレの瞳に映る巴兄。
二人の瞳に映る…月。
綺麗だった…恐いくらいに…。
「もっと、いっぱい気持ち良くしてくんなきゃ…絶対に許さない」
オレの中にある独占欲が、一気にあふれ出した。
もう二度と、巴兄の元を離れない…離さない。
オレはモノでもいい。
巴兄の愛情を独り占め出来るのなら、なんだってする。
『ミラノ行き76便へご搭乗のお客さまへご連絡いたします…』
「鋼…ちょっと、待ってな」
「うん」
あれから、一度も学校に行ってない。
先生には退学届けと一緒に手紙を書いて送った。
…結局、オレは何も出来ないって分かった…。
オレにあるのは、巴兄を好きだという気持ちだけ。
その気持ちだけじゃ、何も出来ない。
早野や多久人を苦しめるだけじゃない。
巴兄…そして、オレ自身も苦しめてる。
オレの…この気持ちが…いけないの?
「鋼?鋼だろ!」
「!?…あ、片端さん!何?仕事終わったの?」
嬉しい。
今日、片端さんに会えるなんて…一気に気持ちが明るくなった。
荒木片端さん。
フリーのカメラマンで巴兄の親友。
オレにとっても大切な人。
片端さんはオレの憧れだから…。
「何?迎えにきてくれた…ワケないよな?旅行か?」
「…巴兄から、聞いてないの?」
「うんにゃ、何も…って。まぁた、あのバカはしょうもないこと考えてんのか?」
巴兄が言ってた。
片端さんは初めて自分を警戒せずに近づいてきたって。
正直、オレは片端さんが大嫌いだった。
だって、巴兄の口からオレ以外の奴の名前なんて聞きたくなかったから。
でも、出会って驚いた。
こんな裏表のない人は初めてだったんだ。
片端さんはオレと巴兄の関係を知っても、今までと同じように接してくれた。
オレ達に付きまとう奴で下心もなくて、何の見返りも期待しない人なんて初めてだったんだ。
少し、戸惑ったけど…オレも片端さんが好きになっていった。
「イタリア…行くんだ。巴兄と一緒に」
「…何?新婚旅行?」
「そぅ。だから、邪魔するな」
「うあっ!!…巴〜お前、心臓に悪い登場の仕方すんなよな…でも、大学勝手に卒業したってマジだったんだな」
「もっと、心臓に悪い話、聞かせてやるよ」
巴兄はチケットで片端さんを扇ぎながら、意地悪そうに笑う。
そういうトコ、昔から変わってないよね…。
「…最近さぁ、俺達の幸せな新婚生活を邪魔する輩がいるんだわ。分かる?まったく、俺の方が心臓に悪いよ」
「どうせ、誰かが鋼にチョッカイ出してんだろ?」
「そ。しかも、二人!」
「そりゃ、災難だな」
「巴兄も、片端さんも…そんな会話で盛り上がらないでよ!」
…なんか…イヤだよ…。
「でも、結構深刻なんだぜ?鋼が心変わりしないか、心配で心配で」
「珍しいな…いつもなら、すぐ潰してるくせに…また手伝ってやろうか?」
「今は遠慮する…相手が相手だけにね」
?…巴兄は何を言ってるの?
もしかして…今まで、オレにつきまとってた奴って、全部巴兄が潰してたワケ?
それに、二人って…早野と荒木のことだよね…え…荒木?
そういえば…片端さん、弟がいるって…まさか…ね?
「一人は鋼の友達なんだよ」
「何!?鋼、ダチに言い寄られてんのか?そんな奴、捨てちまえ!で、もう一人は?」
「…片端さん。楽しんでるでしょ」
…ったく、人事だと思ってぇ〜!
「もう一人は…荒木多久人。お前の弟」
え!?
多久人って…ウソ…。
目がテン状態っていうのは、こういうことか?
「…あのバカがぁ…」
でも、多久人が片端さんの弟?
だったら、オレ…片端さんの弟…傷つけた…?
「ごめんなさい!ごめん、片端さん…オレ…」
「…鋼は謝らなくてもいいんだよ。それより…ウチのバカも見る目が育ったな。鋼を選ぶとは」
「今のは俺の空耳か?なぁ、片端?」
「アハハ。空耳だよ。きっと、うん…鋼、悪かったな。多久人のことなら、もう気にしなくていいよ。鋼は今、幸せなんだろ?」
「…ん」
「だったら、その幸せを守るんだ。お前が不幸になったら多久人や友達クン、巴だって不幸になる。もし、そうなったら…その時は、俺は鋼を許さない…いいな」
重い言葉。
でも、心が軽くなった。
オレは幸せになりたい…巴兄と幸せになりたい。
簡単なことなんだ。オレは絶対に巴兄を不幸になんてしない。
不幸になんてならない。
誰にも邪魔されないくらい、幸せになってやる。
それが、オレに出来ること…。
「うん」
「…いい表情になった。さっきまでの曇りは取れたみたいだな」
片端さん…オレのために?
やっぱり、オレは片端さんが好きだ。
この人の生き方…尊敬出来る。
片端さんのように生きてみたい。
気侭に自由に…そして、自分自身に責任を持って…。
「アリガト…オレ、片端さんのこと、すごく好き。多分…巴兄の次に好きだよ」
「…ホンットにカワイイなぁ〜。巴やめて俺にしない?」
片端さんに抱きしめられるのって、巴兄に抱かれてるみたいで、気持ちいい…。
「片端。兄弟揃って潰してやってもいいんだぜ」
「…お前、こんなに物分かりの良い親友様にそんなこと言っていいのか?」
「それぐらいで切れる仲じゃないだろ。親友サン?」
巴兄は相手を黙らせるのが上手すぎる…。
やっぱり、巴兄は策略家だ…。
オレも、巴兄ぐらい強くなりたいな。
「あの、片端さん。多久人に…オレを好きになってくれてありがとうって、伝えて…くれるかな?」
「…いいよ」
「…片端。落ち着いたら連絡するよ。しばらくは日本にいるんだろ?」
搭乗口の所まで、片端さんは来てくれた。
「ホントかよ?そう言って、いつも連絡取るの俺だぜ?」
「今回は本当だって」
「…オレも手紙とか…いい?」
「全然OK。鋼、巴に飽きたらいつでも俺のトコ来な。相手してやるから」
片端さんは笑いながらオレの頭を撫でる。
やっぱり…子供扱いされてるんだなぁ…オレって。
「…うん」
「って、鋼!?うんじゃないだろ!うんじゃ!」
「相変わらず、からかいがいがある…っと。そうそう…コレコレ。土産…餞別になっちまったけど、持ってけ」
片端さんはジャケットのポケットから小さな箱を取り出す。
今回のお土産は何かな?
いつも、楽しみにしてるんだ。
…だから、ガキなのか…?
「サンキュ。ありがたく貰っとく…じゃ」
「あ、そうだ。仕事で行く時は泊めてくれよ」
「宿泊代、請求するぞ」
「言うと思った…鋼も、元気で」
片端さんの口唇が頬に触れる。
軽いキス。
オレも片端さんの頬にキスを返す。
オレ達の挨拶。
片端さんは仕事で外国生活が長いから…なんて言うか…人目を気にしないんだ…。
オレも最初は、すごい恥ずかしかったけど…もう、慣れた。
でも、巴兄は絶対にさせてくれないらしい…。
だから、その矛先が全部、オレに向くんだよ。
「片端さんもね…来る時は絶対に連絡してよ」
「…コレが、同じ血の通った兄弟とは…」
片端さんはオレと巴兄を交互に見つめる。
「お前等兄弟は…嫌って程、似てるよな」
「ゴメンってば、巴チャン」
「でも…今日、片端に会えて良かったよ」
「…俺もだよ」
―RRRRR―RRRRR―
「はい?」
『多久人?俺』
「は?…兄貴?ちょっ!今、どこにいんだよ?」
『成田。今から成田、総武線を駆使して帰る』
「今日帰るなら、そう言っとけよ!」
『なぁ…お前、今、報われない恋してるんだってな』
「なっ!?何言ってんだよ」
『違うのか?んじゃ、同姓同名の人違いか?でも、お前の学校に他に多久人なんていないよな?鋼の言い間違いかな?』
「!!…鋼?兄貴、椎名のこと知ってんのかよ!?」
『そこに、鋼の友達クンもいる?』
「友達…竹内のこと?いるけど…?」
『俺、今からすごい残酷なこと言うから、覚悟して聞けよ。そいつにも伝えな…今な…鋼はイタリアに行った。巴と一緒にな』
「!!!」
『後、鋼から多久人への伝言。“俺を好きになってくれて、ありがとう”…って、ことだから。んじゃ、後でな』
「ちょ!兄貴っ!…切りやがった…なんだよ!どういうことだよっ!!」
「おい?多久人?」
「っるせぇ!…おいっ、竹内!!どういうことだ!?お前、知ってたんだろ?なんで言わなかった?」
「…何?」
「椎名だよ!イタリアって何だよ!お前、よく平気でいられるな!?」
「…イタ…リア?鋼が?何の…冗談だよ!?」
「お前も…知らなかったのか?でも…なんで…?いきなり、イタリアなんて…」
「…イタリア…」
―P―
「やっと日本に帰ってきたっていうのに…厄介事が重なっちまったな…次の仕事は何が何でもイタリアにしなきゃ…ったく。巴の奴、余計な事をしてくれたもんだよ…今までの苦労が、水の泡だ…」
「巴兄…オレ、間違ってるかな?」
飛行機のシートに座って、窓から外を見つめる。
よぎる、想い。
今、オレは逃げてるんじゃないのか?
「誰が正しいなんて言えないよ。まずは、自分が思った通りに生きてみる。そうすれば、結果は見えてくるよ」
巴兄に肩を抱かれる。
やっぱり、巴兄は答えを教えてはくれないね…。
でも、オレを安心させてくれるのは、巴兄だけだよ。
「…アリガト」
自分が思う通りに生きてみよう…。
そうすることで、全て上手くいくかもしれない…。
今のオレには何もない。
だから、これから、新しい街で新しい人達と新しい自分を創るんだ。
人生にリセットは効かないけど…運命はいくらでも変えていける。
自分の選んだ道を、自分の足で歩いて行こう。
もし…オレの選んだ道が、間違った道だとしても…。
何もせずに後悔するよりも、何かをして後悔した方がずっといい。
自分の人生から何かを学びとれるなんて、素敵なことだと思う。
オレの隣りに当たり前のように巴兄がいる。
そんな夢みたいな生活を望んでいるわけじゃない。
神様…こんなオレでも、願いはきいてもらえますか?
ただ、巴兄の…この人の役に立ちたい。
この人の人生に幸せを願いたい。
オレが望むことは、ただ、それだけだ…。
「ん…鋼?」
「あ、起こしちゃった?ごめんね」
オレは慌ててブラインドを閉めようと、手を伸ばす。
「いいよ…眠れない?」
「違うよ…月を…月を見てたんだ」
飛行機の小さな窓いっぱいに広がる大きな満月がオレ達を照らした。
夢見心地の俺を…暖かく、優しい光で…。
でも、こんなに大きな満月は初めてだ…。
吸い込まれそうなくらい、大きくて、綺麗で…恐い。
こんな夜は、何かが起こる。
月は時に人を、狂わせるから…。
オレも…お前に狂わされた一人なのかな?
その時から…ううん。
もしかすると、ずっと、昔…初めて、巴兄に抱かれた夜、あの月を見た時からなのかもしれない…オレの人生が狂い始めたのは…。
オレは巴兄に寄り添って、ゆっくりと瞳を閉じた…。
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